廉価版を「ラルジャン」と一緒に購入しました。ロベール・ブレッソンが「抵抗」の次に撮った作品です。
心の空洞を埋めるようにスリという犯罪に耽溺してゆく青年ミシェル。彼自身が自らの行為と心情を語りながら物語が進行する一人称形式の作品で、贅肉を削ぎ落とした不愛想にも思える演出が豊潤な映像空間に転化するブレッソンマジックを堪能できる傑作です。
スリの手口が様々なシチュエーションで提示され、いずれもアングルを変えた短いショットを畳み込み、「抵抗」の脱獄シークエンスに劣らぬスリルを生み出しています。犯行前の不安感の描写も秀逸。クールでスタイリッシュな佇まいにはフィルムノワールの雰囲気も感じられました。
未来に希望を託す結末は「抵抗」に通じるものがあり、この時期のブレッソンは人生を前向きに捉えていたのでしょうか。
スリ ロベール・ブレッソン 《スペシャル・プライス》 Blu-ray
41パーセントの割引で¥1,418 -41% ¥1,418 税込
参考価格: ¥2,420 参考価格: ¥2,420¥2,420
他に注記がない場合、参考価格とは、製造業者、卸売業者、輸入代理店(「製造業者」)などの小売業者以外が設定した、商品のカタログなど印刷物で発表された、または製造業者が小売業者に提示する参考価格・推奨小売価格を意味します。ただし、Amazonが製造・販売するデバイスの参考価格については、他に注記が無い場合、個人のお客様向けに最近相当期間表示されていた価格を意味します(注記の内容を含む参考価格の詳細については、該当する商品詳細ページをご確認ください)。なお、割引率の表示は1%毎に行われており小数点以下は四捨五入しています。
詳細はこちら
詳細はこちら
OFF 買い物をする
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,418","priceAmount":1418.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,418","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"e15pm%2BZM8NJCou8yODxtI1X2RjGDi9BJ4KO17EBCy48x1TCo7dzv2aPFjZW1LE%2FM8GZW%2BCDGtRIz0oy0YJpBQo%2FMtCDO18yNd8h9kmq%2FBj8SlKFdH8cSvRbilD89tny2L5xfr96uYck%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}]}
購入オプションとあわせ買い
Amazon 新生活SALE (Final) 開催中
期間限定!人気商品がお買い得。最大5,000ポイント還元ポイントアップキャンペーン
Amazon 新生活SALE (Final) を今すぐチェック
Amazon 新生活SALE (Final) を今すぐチェック
よく一緒に購入されている商品

対象商品: スリ ロベール・ブレッソン 《スペシャル・プライス》 Blu-ray
¥1,418¥1,418
残り15点(入荷予定あり)
¥1,418¥1,418
残り18点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品を見た後にお客様が購入した商品
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
商品の説明
内容紹介
巧みな手口、孤独が彷徨う。
巨匠ロベール・ブレッソンの演出が冴える傑作サスペンス!
孤高の映画作家ロベール・ブレッソンの代表的傑作にして、初の自身のオリジナル脚本作。
スリの巧妙な手口を映像化し、見事な視覚的構造とリズムを生み出す。
研ぎ澄まされた画面と音響で純粋なる映画文体の確立を目指したブレッソンの野心作。
スペシャルプライスで再リリース!
■STAFF
監督・脚本:ロベール・ブレッソン
撮影:レオンス=アンリ・ビュレル
美術:ピエール・シャルボニエ
録音:アントワーヌ・アルシャンボー
■CAST
マルタン・ラサール
マリカ・グリーン
ピエール・レマリー
ジャン・ペレグリ
■物語
貧しい学生のミシェルは競馬場で前にいた女性のバッグから出来心で金を盗み取った。
彼はすぐさま逮捕されるが、証拠不十分で釈放される。
ある日、彼は地下鉄の駅でスリの犯行を目撃し、心惹かれる。
幾度も練習を繰り返した後、彼の初めての犯行は成功。
こうしてミシェルは、毎日スリを重ねていく・・・。
1959年|フランス作品|モノクロ|本編76分|フランス語音声|一層1枚|1080P 4:3|リージョンA
内容(「Oricon」データベースより)
貧しい学生のミシェルは競馬場で前にいた女性のバッグから出来心で金を盗み取った。彼はすぐさま逮捕されるが、証拠不十分で釈放される。ある日、彼は地下鉄の駅でスリの犯行を目撃し、心惹かれる。幾度も練習を繰り返した後、彼の初めての犯行は成功。こうしてミシェルは、毎日スリを重ねていく…。
登録情報
- アスペクト比 : 1.33:1
- 言語 : フランス語
- 梱包サイズ : 17.1 x 13.5 x 1.2 cm; 80 g
- EAN : 4933672255484
- 監督 : ロベール・ブレッソン
- メディア形式 : ブラック&ホワイト
- 時間 : 76 分
- 発売日 : 2022/9/23
- 出演 : マルタン・ラサール
- 字幕: : フランス語
- 販売元 : IVC
- ASIN : B0B7J477V3
- 原産国 : 日本
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 878位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 24位外国のドラマ映画
- - 101位ブルーレイ 外国映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2022年10月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2012年3月15日に日本でレビュー済み
学生の頃この映画を観て、いつもの映画とあまりに違うその肌触りに驚いたのを覚えている。そのなまなましさに。そのドキュメンタリーのような感触に。
久しぶりに再会した『スリ』は、やっぱり面白かった。かつて観てドキドキした迫真のスリシーンは、美しい手の運動であることに気づいた。手から手と手渡される財布や鞄や時計、その手の表情や動き、そのアクションがスリリングであり美しいのだ。
ロベール・ブレッソンの遺作となった『ラルジャン』は、金の交換によって人生の歯車を狂わされた男の物語だった。男は鉄格子越しに愛する妻に冷たくされ、別れを告げられた。しかし、この映画ではラスト、鉄格子越しに愛が交わされる。これまでまわり道をしてきたことを男は女に告げる。金やモノをポケットからポケットへ、手から手へと渡し続けることで、回り道をしてしまった男の人生。映画はそのまわり道を描く。
ルイ・マルの『鬼火』は死を間近にした男の自意識の映画だった。この『スリ』もまた自意識たっぷりの男の映画だ。男は手記のような言葉を書き連ね、モノローグとして語られる。「本作は刑事ものではない。スリという許されざる冒険に駆られてしまった若者の悪夢を映像と音で描こうとする試みである。」と冒頭で字幕が出る。
心を誰にも開かず、行為だけが描かれる。まさに冒険なのだ。『罪と罰』のラスコーリニコフのように「非凡な才能をもった人間は法を犯す自由が認められるべきだ」と自らの犯罪を刑事の前で正当化さえしようとする。病気の母を訪れても会おうとしない。彼が母の金を盗み、母が金を盗んだのは息子だとわかり、訴えを取り下げた話が挿入されるが、彼がなぜスリを犯すようになったのかは具体的には描かれない。彼のトラウマとなるような心理描写があるわけではない。ただ「スリ」という行為が描かれるだけだ。虚無的な行為を繰返す男。だから友達と女とデートをするも、まるで女に関心を示さない。関心があるのは、隣りの男の腕の高級腕時計だ。
競馬場で駅で地下鉄で、スリが繰返される。スリ仲間と組みながら巧みに手が動くさまをカメラは写し続ける。ただそれだけの映画ともいえる。男の視線は、人をとらえない。財布や腕時計などモノだけを見つめる。友にも女にも視線を向けない。視線は交わらないのだ。彼は「空=虚無」を見つめているかのようだ。自意識しかないのだ。それが最後、鉄格子の中でやっと女に視線を向ける。モノと手の動きを描き続け、最後にやっと視線が交わるのだ。
「私は物の映画と魂の映画をつくるつもりです。ですからひとは本質的に手とまなざしを見るでしょう。私は物のクロウス・アップとまなざしのクロウス・アップのあいだに、不変の平衡をもとめます。私はできるだけ現実につきまとい、なにもあたらしくそれにくわえないつもりです。しかし生活の現実と映画の現実のあいだには、一致したズレがあるでしょう。・・・私は「田舎司祭の日記」の方向にむかって仕事をしています。だがもっと大きな純粋さに、もっと大きな皮剥ぎに到達したいと思います。こんどは一人の職業俳優も使いません。そのほうが私はずっと自由です。」
(ロベール・ブレッソン 1956年トリュフォーのインタビュー)
久しぶりに再会した『スリ』は、やっぱり面白かった。かつて観てドキドキした迫真のスリシーンは、美しい手の運動であることに気づいた。手から手と手渡される財布や鞄や時計、その手の表情や動き、そのアクションがスリリングであり美しいのだ。
ロベール・ブレッソンの遺作となった『ラルジャン』は、金の交換によって人生の歯車を狂わされた男の物語だった。男は鉄格子越しに愛する妻に冷たくされ、別れを告げられた。しかし、この映画ではラスト、鉄格子越しに愛が交わされる。これまでまわり道をしてきたことを男は女に告げる。金やモノをポケットからポケットへ、手から手へと渡し続けることで、回り道をしてしまった男の人生。映画はそのまわり道を描く。
ルイ・マルの『鬼火』は死を間近にした男の自意識の映画だった。この『スリ』もまた自意識たっぷりの男の映画だ。男は手記のような言葉を書き連ね、モノローグとして語られる。「本作は刑事ものではない。スリという許されざる冒険に駆られてしまった若者の悪夢を映像と音で描こうとする試みである。」と冒頭で字幕が出る。
心を誰にも開かず、行為だけが描かれる。まさに冒険なのだ。『罪と罰』のラスコーリニコフのように「非凡な才能をもった人間は法を犯す自由が認められるべきだ」と自らの犯罪を刑事の前で正当化さえしようとする。病気の母を訪れても会おうとしない。彼が母の金を盗み、母が金を盗んだのは息子だとわかり、訴えを取り下げた話が挿入されるが、彼がなぜスリを犯すようになったのかは具体的には描かれない。彼のトラウマとなるような心理描写があるわけではない。ただ「スリ」という行為が描かれるだけだ。虚無的な行為を繰返す男。だから友達と女とデートをするも、まるで女に関心を示さない。関心があるのは、隣りの男の腕の高級腕時計だ。
競馬場で駅で地下鉄で、スリが繰返される。スリ仲間と組みながら巧みに手が動くさまをカメラは写し続ける。ただそれだけの映画ともいえる。男の視線は、人をとらえない。財布や腕時計などモノだけを見つめる。友にも女にも視線を向けない。視線は交わらないのだ。彼は「空=虚無」を見つめているかのようだ。自意識しかないのだ。それが最後、鉄格子の中でやっと女に視線を向ける。モノと手の動きを描き続け、最後にやっと視線が交わるのだ。
「私は物の映画と魂の映画をつくるつもりです。ですからひとは本質的に手とまなざしを見るでしょう。私は物のクロウス・アップとまなざしのクロウス・アップのあいだに、不変の平衡をもとめます。私はできるだけ現実につきまとい、なにもあたらしくそれにくわえないつもりです。しかし生活の現実と映画の現実のあいだには、一致したズレがあるでしょう。・・・私は「田舎司祭の日記」の方向にむかって仕事をしています。だがもっと大きな純粋さに、もっと大きな皮剥ぎに到達したいと思います。こんどは一人の職業俳優も使いません。そのほうが私はずっと自由です。」
(ロベール・ブレッソン 1956年トリュフォーのインタビュー)
2014年6月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
*【以下結末に触れています】
ミシェル(マルタン・ラサール)は、「貧しき者は、他の者から盗むことも止むを得ない場合がある」という独自の考えを持っている。そして、その考えを実行する決心をし、初めて、ロンシャン競馬場で、女のバッグから金を抜き取る。しかし、その場で刑事に捕まってしまう。証拠不十分で釈放されたミシェルだったが、彼は、より高度で危険なスリに手を染めるようになってしまい…。
孤高の映画監督ロベール・ブレッソンによる、スリの世界に没入する青年の姿を描いた異色の作品。ブレッソンが原作に頼らず、自分で書いたオリジナル脚本による(多くの映画評論家が指摘するように、ブレッソン版『罪と罰』と言ってもいいと思う)。主演のマルタン・ラサールは、当時、演技経験のない素人だったことは良く知られている。日本劇場公開は、1960年8月17日。
スリの世界に溺れる青年の末路を描くと言っても、そこにドラマチックな味付け―本作の冒頭の字幕で説明されるように、犯罪ものではない―があるわけではない。例えば、本作の7年前に作られたサミュエル・フラー監督の『拾った女』(北米版VHS" Pick Up on South Street ")のようなスパイ的要素を盛り込んだB級犯罪活劇的なものを期待すると、大いに肩透かしを食う。物語に大きな起伏はなく、ミシェルの告白的ボイス・オーバーで淡々と進み(フェードイン、フェードアウトで静かに画面処理される)、主人公ミシェルを演じるラサールは、素人ということもあり、能面のように無表情―だからこそ、母親の葬儀で、頬を涙で濡らす場面と鉄格子越しに、恋人の手を握り、初めて人間的な表情を浮かべるラストが際立ち、感動的なのだ―で、まるで、夢遊病者か人形のよう。そういった点からすると、ブレッソン監督は、ほとんど物語を語ることに興味がないようにすら見えるほど。全編、無機的で抑性の効いた語り口は、緊張感に満ちている一方、穏やかで不思議な催眠へと誘う感じでもある。
そんな中、唯一、雄弁に作品を牽引するのが、スリを行う手の艶めかしい動き。何かを強く訴えかけることのないミシェルの硬い表情とは裏腹に、相手のバッグや懐から、鮮やかに金を抜き取る手の表情は、何とも繊細で豊かだ。本作では、顔ではなく、手がミシェルの意志であり、感情表現そのものということになるのだろう。
ブレッソン監督は、作為的なもの、情緒的なものなど、通り一編の映画的表現を極限まで削って、映画の純度、精度を高めることで、ミシェルの絶望的な孤独に肉薄し、魂の彷徨に寄り添おうとする。ストイックで無駄のない簡素なスタイルの中からしか、映画本来の純粋で澄んだ美は抽出することが出来ないと確信しているかのようだ。映画監督のポール・シュレイダーが、『 聖なる映画―小津/ブレッソン/ドライヤー 』で、小津安二郎(本作における登場人物たちの無表情は、小津作品の主人公たちにつながる)、カール・テオドール・ドライヤーと並び、ブレッソンを「超越的スタイル」―もっとも、シュレイダーも、この言葉の厳密な定義付けはしていないのだが―の持ち主と論じたことはあまりに有名だが、本作を観ると、その意味するところがわかるような気がする。
それにしても驚かされるのが、主人公のミシェルが、現代にも通じる青年像だということだ。人間とのつながりを拒んで孤独に生き、心というものをどこかに置き忘れてしまったかのような青年。もちろん、スリを働くという反社会性には共感できるはずもないが、ミシェルは、現代社会に生きる人間の写し絵のようで、誰もが、良くも悪くも親近感が沸くはずだ。今さらながら、ブレッソン監督の人間を見る眼差しの鋭さと普遍性に唸らざるを得ない。
本DVDは、仏MK2のマスターを使ったもの。残念ながら、PALマスターなので、4%のスピード・アップ版。ミレーヌ・ブレッソン(未亡人)とエマニュエル・マシュエル(『 ラルジャン 』撮影監督)が、テレシネ(カラコレも)、レストア監修しているだけあり、キズもなく、白黒諧調、ディテール表現ともに良好な画質。2.0chドルビーデジタルの音声も、拡がりはないが明瞭。
特典には、以下のものが収録。どれも2005年発売の仏MK2盤と同じもの。
●『ブレッソン・インタビュー』1960年のTV番組"Cinepanorama"の抜粋映像(6分27秒)
●『《スリ》のモデルたち』2003年製作のドキュメンタリー(52分14秒)
●『カッサジ』1962年製作のTV番組"La Piste aux etoiles"の抜粋映像(11分34秒)
●オリジナル予告編(2分32秒)
●フォト・ギャラリー
また、30頁の特製ブックレットが同梱されているのも嬉しい。細川晋氏による作品解説を始め、ブレッソン監督へのインタビュー、ブレッソン論など読み応えがある。
PALマスターを使用しているのは残念だが、いつもの紀伊國屋のDVDらしい丁寧なパッケージ・ソフトだと思う。
ちなみに、本作は、2014年7月15日に、米CriterionからBlu-ray(" PICKPOCKET ")での発売が予定されているので、より高品位、かつ、フィルム尺で観たいと言う方は、そちらを手に入れるのもいいだろう。
ミシェル(マルタン・ラサール)は、「貧しき者は、他の者から盗むことも止むを得ない場合がある」という独自の考えを持っている。そして、その考えを実行する決心をし、初めて、ロンシャン競馬場で、女のバッグから金を抜き取る。しかし、その場で刑事に捕まってしまう。証拠不十分で釈放されたミシェルだったが、彼は、より高度で危険なスリに手を染めるようになってしまい…。
孤高の映画監督ロベール・ブレッソンによる、スリの世界に没入する青年の姿を描いた異色の作品。ブレッソンが原作に頼らず、自分で書いたオリジナル脚本による(多くの映画評論家が指摘するように、ブレッソン版『罪と罰』と言ってもいいと思う)。主演のマルタン・ラサールは、当時、演技経験のない素人だったことは良く知られている。日本劇場公開は、1960年8月17日。
スリの世界に溺れる青年の末路を描くと言っても、そこにドラマチックな味付け―本作の冒頭の字幕で説明されるように、犯罪ものではない―があるわけではない。例えば、本作の7年前に作られたサミュエル・フラー監督の『拾った女』(北米版VHS" Pick Up on South Street ")のようなスパイ的要素を盛り込んだB級犯罪活劇的なものを期待すると、大いに肩透かしを食う。物語に大きな起伏はなく、ミシェルの告白的ボイス・オーバーで淡々と進み(フェードイン、フェードアウトで静かに画面処理される)、主人公ミシェルを演じるラサールは、素人ということもあり、能面のように無表情―だからこそ、母親の葬儀で、頬を涙で濡らす場面と鉄格子越しに、恋人の手を握り、初めて人間的な表情を浮かべるラストが際立ち、感動的なのだ―で、まるで、夢遊病者か人形のよう。そういった点からすると、ブレッソン監督は、ほとんど物語を語ることに興味がないようにすら見えるほど。全編、無機的で抑性の効いた語り口は、緊張感に満ちている一方、穏やかで不思議な催眠へと誘う感じでもある。
そんな中、唯一、雄弁に作品を牽引するのが、スリを行う手の艶めかしい動き。何かを強く訴えかけることのないミシェルの硬い表情とは裏腹に、相手のバッグや懐から、鮮やかに金を抜き取る手の表情は、何とも繊細で豊かだ。本作では、顔ではなく、手がミシェルの意志であり、感情表現そのものということになるのだろう。
ブレッソン監督は、作為的なもの、情緒的なものなど、通り一編の映画的表現を極限まで削って、映画の純度、精度を高めることで、ミシェルの絶望的な孤独に肉薄し、魂の彷徨に寄り添おうとする。ストイックで無駄のない簡素なスタイルの中からしか、映画本来の純粋で澄んだ美は抽出することが出来ないと確信しているかのようだ。映画監督のポール・シュレイダーが、『 聖なる映画―小津/ブレッソン/ドライヤー 』で、小津安二郎(本作における登場人物たちの無表情は、小津作品の主人公たちにつながる)、カール・テオドール・ドライヤーと並び、ブレッソンを「超越的スタイル」―もっとも、シュレイダーも、この言葉の厳密な定義付けはしていないのだが―の持ち主と論じたことはあまりに有名だが、本作を観ると、その意味するところがわかるような気がする。
それにしても驚かされるのが、主人公のミシェルが、現代にも通じる青年像だということだ。人間とのつながりを拒んで孤独に生き、心というものをどこかに置き忘れてしまったかのような青年。もちろん、スリを働くという反社会性には共感できるはずもないが、ミシェルは、現代社会に生きる人間の写し絵のようで、誰もが、良くも悪くも親近感が沸くはずだ。今さらながら、ブレッソン監督の人間を見る眼差しの鋭さと普遍性に唸らざるを得ない。
本DVDは、仏MK2のマスターを使ったもの。残念ながら、PALマスターなので、4%のスピード・アップ版。ミレーヌ・ブレッソン(未亡人)とエマニュエル・マシュエル(『 ラルジャン 』撮影監督)が、テレシネ(カラコレも)、レストア監修しているだけあり、キズもなく、白黒諧調、ディテール表現ともに良好な画質。2.0chドルビーデジタルの音声も、拡がりはないが明瞭。
特典には、以下のものが収録。どれも2005年発売の仏MK2盤と同じもの。
●『ブレッソン・インタビュー』1960年のTV番組"Cinepanorama"の抜粋映像(6分27秒)
●『《スリ》のモデルたち』2003年製作のドキュメンタリー(52分14秒)
●『カッサジ』1962年製作のTV番組"La Piste aux etoiles"の抜粋映像(11分34秒)
●オリジナル予告編(2分32秒)
●フォト・ギャラリー
また、30頁の特製ブックレットが同梱されているのも嬉しい。細川晋氏による作品解説を始め、ブレッソン監督へのインタビュー、ブレッソン論など読み応えがある。
PALマスターを使用しているのは残念だが、いつもの紀伊國屋のDVDらしい丁寧なパッケージ・ソフトだと思う。
ちなみに、本作は、2014年7月15日に、米CriterionからBlu-ray(" PICKPOCKET ")での発売が予定されているので、より高品位、かつ、フィルム尺で観たいと言う方は、そちらを手に入れるのもいいだろう。
2022年12月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
好意的なレビューも多く、ジャック・ベッケル監督の『穴』的なスリリングな映画かと期待して観ましたが、
私は最後までスリルを感じることはありませんでした。登場人物はみな無表情。その為、感情移入することも
なく映画は終わってしまいました。残念。
私は最後までスリルを感じることはありませんでした。登場人物はみな無表情。その為、感情移入することも
なく映画は終わってしまいました。残念。
2013年12月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「抵抗」と並ぶ、50年代ブレッソンの代表作です。
同じように、シンプルさを極めています。こちらは、上映時間も72分と凝縮されています。
優れた者には犯罪も許されるという、ドストエフスキーを思わせる持論を持つ貧しい青年が、
どんどんスリの世界に嵌っていきます。そこには、奇妙なスリ仲間も現れます。
ブレッソンはパリ警視庁を訪れ、スリの詳細な資料を参照したそうです。
そのスリのテクニックの数々が、見事に映像化されています。
また、ブレッソンとしては初めて、パリの街頭でロケ撮影していますが、
それが功を奏して、同時代のヌーヴェル・ヴァーグにも負けないほどの新鮮な臨場感を獲得しています。
この作品は奇妙な恋愛映画という見方もでき、ブレッソンとしては特異な部類に属します。
主人公ミシェルのマルタン・ラサールは、素晴らしい存在感。
ジャンヌのマリカ・グリーンは、清楚な美しさです。
このDVDには、特典として、バベット・マンゴルト監督「〈スリ〉のモデルたち」が収録されていて、面白く観ました。
淀川長治氏も絶賛していたこの名作「スリ」は、何度観ても飽きないです。
そして、いつまでも古びない作品です。
同じように、シンプルさを極めています。こちらは、上映時間も72分と凝縮されています。
優れた者には犯罪も許されるという、ドストエフスキーを思わせる持論を持つ貧しい青年が、
どんどんスリの世界に嵌っていきます。そこには、奇妙なスリ仲間も現れます。
ブレッソンはパリ警視庁を訪れ、スリの詳細な資料を参照したそうです。
そのスリのテクニックの数々が、見事に映像化されています。
また、ブレッソンとしては初めて、パリの街頭でロケ撮影していますが、
それが功を奏して、同時代のヌーヴェル・ヴァーグにも負けないほどの新鮮な臨場感を獲得しています。
この作品は奇妙な恋愛映画という見方もでき、ブレッソンとしては特異な部類に属します。
主人公ミシェルのマルタン・ラサールは、素晴らしい存在感。
ジャンヌのマリカ・グリーンは、清楚な美しさです。
このDVDには、特典として、バベット・マンゴルト監督「〈スリ〉のモデルたち」が収録されていて、面白く観ました。
淀川長治氏も絶賛していたこの名作「スリ」は、何度観ても飽きないです。
そして、いつまでも古びない作品です。
2010年10月18日に日本でレビュー済み
都市に住む青年の孤独の物語だ。
まず主人公のうつろな視線が印象的。登場人物は押しなべて表情が乏しく、物語も淡々と進む。
彼が次第に犯罪に走り深みにはまっていく姿が醸し出す孤独が凄い。彼の空虚な生活描写と独白にスリの驚異的な描写が交わり緊張感溢れるストイックな映画となっている。
理由や動機などの説明はない、社会に対する怒りのような彼の人生哲学が語られるのみだ。…彼はなぜここまで孤独になってしまうのか。数少なくとも友人は存在し、母の愛も受けていた様子なのに。
次第にスリが上達しスリの仲間も出来るが、そこにコミュニケーションの喜びはない。虚ろに寂しく一人で生きているだけだ。
犯罪で得た金を使って束の間の喜びを得た描写もない(字幕では『金と女に消えた』とあるが…。本当に楽しかったのだろうか…)。
映画のなかで、主人公は表情も変えず、生活には喜びもなく…そう考えると痛々しい。
ラスト、面会の場で少女と格子越しに触れ合う時に彼にかすかに安堵の表情が現れる。
彼の表情にあらわれる人間らしい感情…孤独に彩られたこの映画にふさわしいラストだ。
映像特典には、
公開当時のブレッソンインタヴューや2003現在の役者のインタヴュー、スリのシーンで驚異の手さばきを見せた奇術師のテレビショーの一部などがあり、なかなか興味深い。
まず主人公のうつろな視線が印象的。登場人物は押しなべて表情が乏しく、物語も淡々と進む。
彼が次第に犯罪に走り深みにはまっていく姿が醸し出す孤独が凄い。彼の空虚な生活描写と独白にスリの驚異的な描写が交わり緊張感溢れるストイックな映画となっている。
理由や動機などの説明はない、社会に対する怒りのような彼の人生哲学が語られるのみだ。…彼はなぜここまで孤独になってしまうのか。数少なくとも友人は存在し、母の愛も受けていた様子なのに。
次第にスリが上達しスリの仲間も出来るが、そこにコミュニケーションの喜びはない。虚ろに寂しく一人で生きているだけだ。
犯罪で得た金を使って束の間の喜びを得た描写もない(字幕では『金と女に消えた』とあるが…。本当に楽しかったのだろうか…)。
映画のなかで、主人公は表情も変えず、生活には喜びもなく…そう考えると痛々しい。
ラスト、面会の場で少女と格子越しに触れ合う時に彼にかすかに安堵の表情が現れる。
彼の表情にあらわれる人間らしい感情…孤独に彩られたこの映画にふさわしいラストだ。
映像特典には、
公開当時のブレッソンインタヴューや2003現在の役者のインタヴュー、スリのシーンで驚異の手さばきを見せた奇術師のテレビショーの一部などがあり、なかなか興味深い。