【メーカー特典あり】新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』 オリジナル 卓上カレンダー2021付き [Blu-ray]
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メーカーによる説明
新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』 DVD・ブルーレイ 2021/1/20発売
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Blu-ray●仕様:ブルーレイ2 枚+ブックレット( 32P 予定) 三方背ケース |
DVD●仕様:DVD4枚+ブックレット( 32P 予定) 三方背ケース |
宮崎駿による名作漫画「風の谷のナウシカ」全 7 巻の壮大な物語が新作歌舞伎として上演。 宮崎駿作品、スタジオジブリの関連作品では初となる歌舞伎舞台化作品がDVD・ブルーレイで登場。 |
【メーカー特典付き】ジブリがいっぱい COLLECTION オリジナル 卓上カレンダー 2021


※特典付きをお求めの方は【メーカー特典あり】商品をご注文下さい。
※数に限りがございます。なくなり次第終了となります。予めご了承下さい。
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【メーカー特典あり】新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』 オリジナル 卓上カレンダー2021付き [Blu-ray] | 【メーカー特典あり】新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』 オリジナル 卓上カレンダー2021付き [DVD] | 新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』 [Blu-ray] | 新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』 [DVD] | |
カスタマーレビュー |
5つ星のうち4.7
114
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価格 | — | — | ¥8,818¥8,818 | ¥7,882¥7,882 |
メーカー特典付き | メーカー特典付き | メーカー特典付き | ー | ー |
特典内容 | オリジナル 卓上カレンダー2021 | オリジナル 卓上カレンダー2021 | ー | ー |
形態 | Blu-ray | DVD | Blu-ray | DVD |
発売日 | 1/20/2021 | 1/20/2021 | 1/20/2021 | 1/20/2021 |
商品の説明
ジブリがいっぱいCOLLECTION オリジナル 卓上カレンダー2021付き商品が登場!
サイズ:縦11.5cm×横20cm
※画像はイメージです。デザイン、サイズ、仕様は変更する場合があります。
(C) 1984 Studio Ghibli・H ※制作/トップクラフト
≪ジブリがいっぱいCOLLECTIONスペシャル≫
『新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』』
あなたは壮大な物語のすべてをまだ知らない――
宮崎駿 原作
漫画「風の谷のナウシカ」全7巻が新作歌舞伎に!
チケット即日完売の話題の舞台があなたのものに!
ジブリがいっぱいCOLLECTIONスペシャルより登場!
◆あなたは壮大な物語のすべてをまだ知らない――
映画版では描かれなかった原作のストーリーを、前編(昼の部)・後編(夜の部)で完全舞台化。
●前編:序幕「青き衣の者、金色の野に立つ」、二幕目「悪魔の法の復活」、三幕目「白き魔女、血の道を征く」
●後編:四幕目「大海嘯」、五幕目「浄化の森」、六幕目「巨神兵の覚醒」、大詰「シュワの墓所の秘密」
◆出演は、主人公ナウシカに尾上菊之助、トルメキアの皇女クシャナに中村七之助をはじめとする魅力あふれる俳優が勢揃い。脚本は丹羽圭子と戸部和久、演出はG2。
◆ブルーレイとDVD限定の映像特典収録ほか、愛蔵版の豪華仕様!!
●特製リバーシブル・ジャケット仕様
●収録特典:製作発表会見、予告、千穐楽カーテンコール、尾上菊之助インタビュー ~あきらめない心、ナウシカへの挑戦~
●封入特典:フォトブック(32P)
●外装特典:三方背ケース
<ストーリー>
巨大な産業文明は火の7日間と呼ばれる戦争によって滅び、大地のほとんどは巨大な蟲が生き、有毒な瘴気を発する菌類の森、腐海に覆われた。それでも人間同士の争いは止むことがなく、トルメキア王国と土鬼(ドルク)諸侯国連合帝国の2大国が対立している。「風の谷」は風を操る民が住む辺境の小国でトルメキアとは古い盟約を結んでいる。ナウシカは族長の娘で、人々が恐れる腐海に親しみ、蟲を愛し、心を通わせ、腐海が生じた謎を解き明かしたいと思っている。あるとき、風の谷と同じく、盟約を結んでいる小国ぺジテで、火の7日間で世界を焼き尽くした兵器「巨神兵」を復活させる力を秘めた秘石が発見された。トルメキアは秘石を手にするためぺジテを滅ぼし、さらに土鬼(ドルク)との戦争を始める。偶然、秘石を手にしたナウシカは盟約を守り出陣すると、愚かな戦争や、腐海や蟲の起こす困難に立ち向かい、黄昏ゆく世界に希望の光を灯すため、歩み続ける。
※商品情報は変更になる場合があります。
イメージ付きのレビュー

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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
というのがBlu-rayを観ての率直な
感想です…
色々ネットでは、(主演の
尾上菊之助さんのアクシデントや
その後の対応をした松竹側のお粗末
さについて) 非難轟々の様ですが、
原作を愛読している側からみれば
場面変更してですらあのクオリティ
の高さですから、文句言う人の気が
理解出来ません。ただ前日マスコミ
向け最終リハーサルを公開してあの
トリウマ合戦シーンがお茶の間に
流れたので、チケットを購入され
た方の中には結果的には、期待を
裏切られという感は、否めないで
しょう、
(追記)
何度か観てふと、思ったのですが…
もし、七之助さんの御父上(故中村勘三郎氏)
がご存命だったとしたら、きっとヴ王役を演
じられたかも知れない…そう思うと残念でなりません。(勿論、歌六さんの演技がダメと
いうわけでは有りません…でも親子という
リアリズムでは、段違いだったと思います)
以上が、(追記込みでの)歌舞伎本編を観
ての感想なのです…
が、ソフトの商品紹介の間違いがあったの
で
お知らせします…
詳細説明では、音声フォーマットが
Dolby digital5.1仕様とあるのに
実際は、DTS HD masterオーディオ2.0
です…(写真参照
基本的に、ジブリがいっぱいコレクション
シリーズは、Dolby digital5.1仕様
を採用していません。
映画館では、Dolby digital仕様だったかも
知れませんし、他の劇場公開映画の音声
フォーマットをそのまま使用するので、
そう錯覚されたのかも知れませんが、
皆さんも音響を重視しているので、
訂正をお願いします…

というのがBlu-rayを観ての率直な
感想です…
色々ネットでは、(主演の
尾上菊之助さんのアクシデントや
その後の対応をした松竹側のお粗末
さについて) 非難轟々の様ですが、
原作を愛読している側からみれば
場面変更してですらあのクオリティ
の高さですから、文句言う人の気が
理解出来ません。ただ前日マスコミ
向け最終リハーサルを公開してあの
トリウマ合戦シーンがお茶の間に
流れたので、チケットを購入され
た方の中には結果的には、期待を
裏切られという感は、否めないで
しょう、
(追記)
何度か観てふと、思ったのですが…
もし、七之助さんの御父上(故中村勘三郎氏)
がご存命だったとしたら、きっとヴ王役を演
じられたかも知れない…そう思うと残念でなりません。(勿論、歌六さんの演技がダメと
いうわけでは有りません…でも親子という
リアリズムでは、段違いだったと思います)
以上が、(追記込みでの)歌舞伎本編を観
ての感想なのです…
が、ソフトの商品紹介の間違いがあったの
で
お知らせします…
詳細説明では、音声フォーマットが
Dolby digital5.1仕様とあるのに
実際は、DTS HD masterオーディオ2.0
です…(写真参照
基本的に、ジブリがいっぱいコレクション
シリーズは、Dolby digital5.1仕様
を採用していません。
映画館では、Dolby digital仕様だったかも
知れませんし、他の劇場公開映画の音声
フォーマットをそのまま使用するので、
そう錯覚されたのかも知れませんが、
皆さんも音響を重視しているので、
訂正をお願いします…

・前編、後編合わせて6時間の超大作!
(この舞台を創りあげるのに、どれほどの労力が・・・気が遠くなりそう。)
・役にピッタリの演者達(特に中村七之助さん演じるクシャナ殿下が最高!)
・ナウシカの世界観を壊さず、古典歌舞伎の演出である、宙乗り、本水、舞踊などもしっかりあります。(最後の大詰の対決は圧巻!!)
原作コミックを大好きな方は是非観てみて下さい!
(原作未読の方は是非読んでみて下さい!個人的に宮崎駿氏の最高傑作だと思います!)
今度は原作を読む気になりました。
本稿では原作との相違点の解説を中心に記すが、その全ての相違点を列挙してもキリがないので、あくまでこちらの主観で本筋に近いものと思われるものを以下に挙げさせてもらった。よくぞ残してくれたというシーンもあれば、こここそ残してほしかったというシーンもある。とにかく「ナウシカの世界観を壊すことなく古典歌舞伎にしたい」という発案者の尾上菊之助を始めとする一座のナウシカ愛はいやというほど伝わってくる。ただ伝われば伝わるほどこちらの欲求も高まってしまうのは紛れもないことだ。
ナウシカ歌舞伎のオリジナリティと原作との相違点
序 幕 青き衣の者、金色の野に立つ
冒頭からの原作との大きな相違点、それはナウシカとテトの出会いがユパを介在しないことだ。テトを手懐けるところは同じだが、暴走する王蟲をナウシカがなだめ、ユパを助けるところは大胆にカットされている。メーヴェの飛行でやってのける早業なので、舞台で出来ることではないし、そうそう気軽に宙乗りに頼れるわけでもない。この点、映像の方が俄然有利だということを思い知らされる。
ナウシカの父、ジルは風の谷の民と共にユパを迎えるところも原作と同じだが、寝たきりとはいえ眼光鋭い族長ジルとは思えないような好々爺になっている。
ジルとユパ2人だけのシーンでは原作のようにユパがトルメキアへのナウシカの怒りを抑えなければ、「ペジテの二の舞になる」とジルが感謝する。この点も同じだが、何も「ガンシップで皆殺しにすべきだった」とは言わないのだ。明らかにジルの王としての苛烈さは軽減されている。「ナウシカを戦場にやるのは忍びない」とすら口にするのだ。
ナウシカもユパを風の谷に迎えたときに死んだ母の話題が出たときにも「母の事は余り覚えておりませぬ」と打ち切ってしまう。後の伏線にもなる原作にはないオリジナリティの一つだ。
尚、ユパが風の谷に訪れるとき、トリウマは一匹のみになっている。原作ではカイとクイの二匹だが、本作ではカイのみでつがいのクイは登場しない。
出征したナウシカは、原作通りにミトを後部座席に乗せてガンシップを操縦している。ここでトルメキアに恨みを抱くアスベルのガンシップが襲来し、トルメキアのバカガラスを撃墜(ナウシカとミトの会話で表現)する。ここまでも同じなのだが、巻き込まれて腐海に墜落しかけるバージの中で取り乱す城ジイたちを落ち着かせるためにマスクをはずすあの名場面もカットされている。歌舞伎評論家の児玉竜一もこのシーンがないとナウシカの説得力が軽減されるのではないかと危惧(演劇界2020年2月号)していたし、それでなくても(菊之助のケガがなくても)飛翔が売りのナウシカの立ち回りは軽減される。贅沢を言えばキリがないが、このシーン出来なくもないのでは?メーヴェならともかくガンシップなのだから宙乗りをしなければよいのでは?ミトとガンシップに乗るシーンはあるのだから遭難しかけているバージのことは説明台詞で乗り切ればいいと思う。この後、クロトワがコルベットでアスベルを撃墜し、退けるシーンもカット。ナウシカがメーヴェに乗りアスベルを救出に向かうところも、腐海でのアスベルとのシーンもかなり忠実だ。さすがに、2人乗りは説明台詞で乗り切る以外の方法はないが。
ちなみに原作では城ジイは城オジ、城ババは大ババになっている。
母の事が伏線になると前述したように幼きナウシカの有名な回想シーンも改変されているのだ。原作でもアニメでも一言も発しなかった母は「母上、蟲を返して」と泣くナウシカを諭すのだ。「ナウシカ、ちゃんとお別れを言うのですよ。そなたは風の谷の姫なのですから。」と。本作でも「11人子どもをもうけて育ったのはナウシカ1人、ナウシカの母も森の毒のために若くして死んだ。」とジルが述解しているように母の設定自体は変わっていない。原作では上記の理由で母は心を閉ざしたが、本作では心を閉ざすことのない強い母である。王蟲の幼生を処分したのは父ではあるが、どちらかというとジルは娘に対しては及び腰である。本作でのジルはやはり厳しさが軽減されナウシカへの叱責もない。このシーンでも娘に立ちはだかるのは母なのだ。ある意味原作より現代的な家族だ。この伏線はまだ続くのである。
トルメキア戦役勃発の日、クロトワが着任する。着任の場面はほぼ同じだが、原作ではアスベルを撃墜する前に着任している。クシャナが風の谷に立ち寄るものの一旦兵を引くが本作ではそのままトルメキア戦役に突入するので着任はその後になる。ナウシカとアスベルが腐海にいるときにミトはクシャナにナウシカの捜索を願い出、クシャナから秘石のことを問われるがそこは機転を利かせて上手くとぼける。ここはミトの見せ場として残してくれたが、その後の見せ場はかなりカットされてしまう。
この序幕の最後が文字通り「青き衣の者、金色の野に立つ」である。
映画のラストシーンに限りなく近く、原作の2巻の序盤でもある。本作では原作や映画ではあり得ないシーンにもなっており、傷ついた王蟲の幼生の精霊とナウシカが手に手をとって踊るのだ。人外の者が擬人化する伝統的な手法の一つだが、原作が持ち得るアニミズムとの親和性があることで逆に歌舞伎の強みになっている。
二幕目 悪魔の法の復活
「戦争も悪くはございませんな」これは原作にはない台詞、原作の2巻に登場するセラミック鉱山の酒場のシーンである。『ナウシカ孝』著者の赤坂憲雄も指摘(「熱風」2020年2月号)するように原作以上に戦争特需を強調しているし、歌舞伎らしく大人用に描かれている。上記の台詞の元である店主の娘は父にも客にも踊女にも冷ややかな対応をする。一般人の蟲使いへの差別などが明るみになる重要なシーンだ。
蟲使いの後をつけたユパはアスベルと遭遇し、足並み揃えて王蟲の水槽を破壊、このシーンは原作を越えていると言って良い。本水の立ち回りも申し分ない。
二幕目の第三場で始めてミラルパが現れる。ユパたちを逃がしたマニ僧正は原作通りに殺される。原作との相違はチヤルカもここで同席していることと僧正が銃剣ではなく銃弾で殺されていることだ(ここも赤坂が指摘)。僧正を弾劾する場所にチヤルカが同席しているのはミラルパがタテマエを優先する人物だと観客に分りやすく表現したのかもしれない。チヤルカをチャルカの表示にしたのはナウシカを知らない人にわかりやすい表示にしたのだろうか?
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三幕目 白き魔女、血の道を征く
クロトワの最初の見せ場はいわずと知れたクシャナに寝返る場面だがその名台詞に、梶原景時と弁天小僧をぶっこんだのだ。景時はともかく、キャラ的にはどちらかというと弁天小僧がクシャナでその相棒、南郷力丸がクロトワに近いと思うが、別に自分に例えたわけではないだろうからそれはそれでいいのだろう。筆者のように歌舞伎をほとんど知らなくても白波五人男を知るものは決して少なくはないだろう。
瘴気に襲われた村のシーンは全カット。
瀕死のトルメキア兵の毒の血を吸い出すナウシカと、死に行く兵たちに戦旗と剣を掲げて敬意を払うクシャナのシーンがカットされたのも惜しい。確かに口移しのシーンは実写で演じる方が難しいだろう。絵コンテやマンガなら描く方は大変だが少なくとも演者にそのことで気を遣うことはないはずだ。兵に敬意を払うクシャナのシーンは他にもある。死した部下たちへの手向けに髪を切り落とすシーン、ここをぶっかえりの作法で実演はできないのだろうか?
それでも原作と同じみんなが大好きな、歓呼三声!ラー!ラー!ラー!ははずさなかった。クシャナが背をさらし鎧をナウシカに留めさせるシーンも残してくれたことも評価したい。
また残念ながら菊之助の負傷でサパタ戦でのナウシカが戦場でトリウマに騎乗するシーンはもう残っていないのだ。初日を収録さえしていればと松竹サイドの痛恨の極みか。それでもクシャナと別れ南を目指して旅立つナウシカを、菊之助は完治を待つことなくメーヴェの宙乗りを再開させる。しかも負傷した左手で手を振るのだ。
四幕目 大海嘯
夜の部の幕開けから道化が語り手として初登場する。やっと主要人物が名乗りを上げる中 まるで真打のようにヴ王が現れる。
「利口な女は大嫌いだ」とヴ王は放つが、原作ではヴ王の台詞ではない。
ヴ王の三男、第三皇子だ。娘を実際にどう思っていたかは明らかにされていないが、原作での上記の発言は父より兄の方がクシャナを脅威に思っていることは間違いない。それに比べると、トルメキア以上に封建的なはずの土鬼は意外に門戸が広い。身分が低くてもチヤルカを取り立てるミラルパだけでなく、「俺は強い者が好きだ。男も女もな。」と放つナムリスも秀逸で(この台詞はカットされているが)、思わずヴィランの世界を思い出した。ちなみに本作でも第三皇子の台詞は変わらない。
南に向かうナウシカは、チククと上人に出会い、上人に見送られながら大海嘯を止めるためにチククと一緒に出発する。ここは原作と同じだが寿命が尽きた上人の死は描かれない。
聖都のシュワでは原作通りナムリスは浴槽に薬液を投入し、弟ミラルパを毒殺する。「俺は帝国も死もどうでもいい」、「恐れることはただ一つ、この血を一度も滾らせることなく終わることだ」 等登場人物の中で一番台詞の変更が少ないのはおそらくナムリスだろう。見得の切り方一つにしても歌舞伎に落とし込んでも違和感がないので変える必要がないのだ。彼らの父、神聖皇帝は登場しないので移植手術の失敗シーンもない。
誰もが認める最大の名場面でクシャナは瀕死のクロトワや部下たちを抱いて、子守唄を口ずさみ、蟲の襲撃をやりすごすのだ。クシャナ唱うは、なんとナウシカレクイエム。原作ではクロトワは意識を失うことなく「クシャナが歌ってやがる 冗談じゃねえ こんなときに」と突っ込みを入れるがここもカット。子守唄をナウシカレクイエムにしたのは奇跡ではあるが、さすがにコルベットの逆噴射の表現は無理か?クロトワの重症も銃撃されたからということになっている。
四幕目の構成はチククの登場と唄うクシャナが中心となっているが、実は順番が逆なのである。多分時間短縮のために上手く加工したのだろう。原作では、クシャナのシーンとチククの登場の間にある重要なシーンもカットされている。ナウシカが南に向かった後には、ミトが、ユパの足跡を辿ることになるが、工業都市セムの酒場の店主と娘が再登場し、ここでカイのつがいであるクイが卵を産んでいる。ミトは卵を受け取りユパ、アスベル、ケチャ一行と再会する。
原作のケチャの気の強さは健在で嬉しい。ナウシカが土鬼の老婆から譲り受けた娘の形見である晴れ着のことを「狙っていた」という台詞も、降伏したクシャナにかますところもきちんと残してくれていた。戦闘能力も残してくれていたら尚嬉しいが。
大海嘯を見下ろし哄笑するナムリスの「実にも上無き眺めだな」はどうしても五右衛門の「絶景かな」を想起させられる。
五幕目 浄化の森
大海嘯の中、粘菌のために命を落とす王蟲たちと心中しようとするナウシカ、ここでナウシカの哀しみを表現する舞に藤娘、道成寺、鷺娘の3連発を投入する。圧巻だ。
虚無の中でさまようナウシカは弟に殺されて魂となったミラルパに襲われるが、森の人セルムの力を借りて撃退する、ここまでは同じだが、原作ではナウシカは、撃退したものの見捨てることは出来ずミラルパを成仏させる。ここも割愛されたのは残念だ。
大海嘯がおさまり、目覚めたナウシカは、現実の世界に帰還し、チヤルカとチククと蟲使いとクロトワが迎える。原作ではミトもいるが前述したようにそこは割愛され後半には風の谷も含めて登場しない。それに卵からかえったカイとクイの子どもである、ひな鳥とチククが仲良しになっているシーンもカット。全般的にチククはもっとやんちゃな方がよかった。その方がチヤルカとのコンビが生きる。
本作での蟲使いへの待遇はそう悪くはないのだが、疑問が残る。
まず本作も原作も蟲使いはナウシカを女神と崇めるが、原作ではナウシカ自身女神扱いを否定しているにも拘らず、本作ではそれを否定しないのだ(まあ多分むげに否定するのもどうかと思い黙っているのかもしれないが)。それなら原作と方針が違うのか思えば、エピローグでは「ナウシカは神か?」と問うチヤルカにチククが「違う ナウシカは人だ チククはナウシカが好きだ」(6巻P138に似たような記述はある)と返す。一貫性がない。どっちなんじゃいと言いたい。それにナウシカについていくために荷を軽くしようと自らの手で蟲を殺したシーンも、蟲使いが死者から追いはぐ行為に怒る資格が自分にないとナウシカが悟るシーンも当初ナウシカ自身が蟲使いに差別的な発言をしていたシーンも残してほしかった。
六幕目 巨神兵の覚醒
逃げ帰ってきた第一皇子と第二皇子、当然叱責される。ヴ王自ら出陣。ここで第一皇子と第二皇子は退場する。原作では庭での双子のピアノ連弾というイベントがあるのに。
大 詰 シュワの墓所の秘密
原作通り秘石に反応した巨神兵はナムリスを倒しナウシカを母と認識し、ナウシカはオーマの名付け親となり、シュワの墓所へ向かう(最初からオーマの知性は高く殺戮を楽しむシーンもない)。本作ではナムリスはあっさり死ぬが、原作では頭部を切り離されてもなお生きているのだ。原作と違い成仏できなかった弟のミラルパと同じような結末だ。クシャナがナムリスの生首を掴んで闊歩するシーンを見たかったという意見は少なくない。生首ナムリスとの会話劇も含めてだ。
ユパが壮絶な最期の直前に放つ「ナウシカにはなれずとも同じ道はいける」は遺言とも思える名言だが、評論家の切通理作も指摘したように(朝日新聞2019年12月17日P31)、「同じ道はいける」を「別の方法もある」に改変されたことには違和感がある。改変した意図が知りたい。
ユパの死後に、チククとクシャナが手に取るシーンもカットされた。原作でチククは言う。「ナウシカが、クシャナは深く傷ついた鳥だといった 心の広い大きな翼をもつやさしい鳥だって チククとクシャナ友達になろう」と。ダブルヒロインでしかもシスターフッドを強調する本作であればこの台詞をはずさないことが絶対条件ではないか?
それでも中村七之助の当たり役の一つになったクシャナの子守唄のシーンこそ本作の最大の見せ場となり観客を釘付けにしたことは間違いない。七之助は宝塚の男役を参考にしていたようにも思える。一人称を「妾」にしたことも良案だ。個人的な意見を述べるときだけ一人称が「私」になるところもクシャナの性格がよく出ている。それに比べるとナウシカを演じる菊之助はやや割を食っている。慈愛性が若干多めなのは、菊之助のナウシカ愛、理想像が出ていることもあるだろう。元々あまり性を感じないキャラクターなので実写では難しいのかもしれない。冒頭のトルメキア兵との一騎打ちや、墓所の破壊も薄まっているので本来の凶暴性がほぼなくなっているし、ナウシカにしては姫過ぎる。舞台での強みは脚本でカバー出来るはずなので、再演での改変に期待したい。
ヒドラの庭の場でのナウシカと庭の主、すなわち母との対峙のシーン
前述したように本作の母と原作の母は違うのになぜかここの庭の主は原作と同じように優しい母を演じる。ナウシカにとっては心を閉ざした母と厳しい母の相違は大して違わないのか、原作より母との対峙がより言及されていることを改めて考えさせられた。
巨神兵オーマの精とシュワの墓所の精が連獅子と化して大戦闘を繰り広げるのは名改変とSNSでも言われている。
「いのちは闇の中のまたたく光だ」も残してくれた。
原作ではオーマの最後のつぶやきは事切れてしまったが、「泣かないで」と尾上右近のオーマがはっきりと口にしたことを『若き藝能者』の著者九龍ジョーが語っている。それに“オーマの精”は歌舞伎の手法で擬人化された精なので原作ではできなかった人間サイズの姿でナウシカの腕の中で事切れるのだ。だが原作のようにアスベルがナウシカを飛行ガメで拾うことはできない。アスベル役も右近が演じているので。カーテンコールでもオーマの精と墓の主の精は出てくるが、アスベルとセルムは物理的に同時に出ることは出来ないし、ナムリスとミラルパも同じことだ(毒殺シーンは例外中の例外)。これも舞台の強みでも弱みでもある。
大詰のエピローグは大団円ぽく生き残りの登場人物のほとんどが勢ぞろいをするので、原作の最後の数ページと照らし合わせやすい。
このエピローグでは既にジルが死亡していることを示唆しているので、原作のように大往生を遂げるシーンは割愛されていることが分る。
ヴ王の遺言とクシャナの決意の変更は少ないが、クロトワの「よくいうよ」のつっこみが道化の(泣きながら)「その口がよくいえたもの」に変更されている。
また、原作の最後のページにも描かれているのにもかかわらず、アスベルとケチャの関係も省略されている。やはりアスベルは終盤ではオームの精の姿になっているので、便宜上ケチャ共々エピローグではフェードアウトされているようだ。それに、ナウシカの「王蟲の体液と墓のそれが同じだった」と、それにセルムが返した「それはわたしとあなただけの秘密です」もカットされたことでナウシカとセルムの秘密が秘密なのか秘密でないのかはっきりしない。状況は好転すると蟲使いに嘘をつくシーンをカットしたこともあってナウシカの責任も軽減されているのだ。
マクロ的な作品なのに、最後の数ページは以外に独白や心の声が多いのだが、舞台での大団円ではプライベート感は出しにくいのだ。
それはクロトワでもアスベルとケチャでもセルムでも同じことが言える。
まとめになるが、全般的に原作をわかりやすく構築されていることは否めないものの、本作はナウシカファンだけのために創られているわけではないのでその点は仕方がないと思う。もし本作に最初から原作へのリスペクトすらなかったら、こちらの期待値もここまで上がらなかっただろうし、原作との相違点まで記すこともなかったと思う。原作派にも本作を鑑賞してもらいたいし、再演してもらいたいのも本心だ。
あと1~2時間あれば惜しいカットを回収できたのではないか、8時間あれば映像化して3部作作ればいいのではないか、人形劇ならむいているのではないかなどと予算など知ったことではない立場から言えることなのだが。
結論から言えばナウシカ歌舞伎は成功例になっている。
だからこそ、本作がナウシカ完全版の最初で最後のメディア化になるとは思いたくはない。失敗していたら封印されることになるが、もはや成功例になっているのだから、何も今後の映像化舞台化を封印するために作った作品ではないだろう(宮崎はそう思いたいのかもしれないが)。逆に本作がその露払いだと言いたいわけでもない。
それでもみんな映画では割を食っていた完全版のクシャナを映像で見たいだろう?
たぶん。
登場人物とストーリーだけ風の谷で、服装や声が日本の江戸時代w
カオス世界が展開されます、、、