本作は、アニメ「ガールズ&パンツァー(通称=ガルパン)」における楽曲『テレビアニメ版OST』および『劇場版OST』を、クラシック音楽作品として再現する“実験的試み”である。
(※『ドラマCD VOL.3』に収録の「OVA版アンツィオ高校編OST」については、省いても問題ないと思われる)
他のレビューを見る限りでは、概ね意見に相異はないので詳しくは書かないこととするが、やはり本作を説明するには《交響組曲》、あるいは《交響詩》、といった趣があるだろうか。一般にわかりやすく、あえて端的にかつキャッチーな命名としての“交響曲”であると理解できる。
さておきとりわけここで述べたいのは、「アニメの劇伴を、映像を伴わない形で新たに作品として構築する」という点においてである。
つまり、既存のアニメーション作品の場面に紐づけられたものとしての音楽を、一旦そこから離してみることは、映像のなかで成しえなかった表現に対する“挑戦”として位置づけられるだろう。
これによって、アニメの映像を呼び起こさせる部分もあれば、一方で本編にはなかった新たな表情を与えるということが起こりうる。
たとえば、宮崎駿監督映画「もののけ姫」(97年)では、《交響組曲「もののけ姫」》(作曲・久石譲)があり、またOVAアニメ「ジャイアントロボTHE ANIMATION~地球が静止する日」(92年~98年)においては、《交響曲第2番『GR』》(作曲・天野正道)が制作され、管弦楽・吹奏楽用に編曲されている。ゲーム作品では、すぎやまこういちによる《交響組曲「ドラゴンクエスト」》シリーズなどが著名といえるだろう。
これらの音楽作品が、交響曲等の形式を踏まえながらアニメの物語をなぞりつつ、映像を伴わない、本編には存在しない時間と物語を進行してゆく。
劇伴の作曲家によって、それぞれ音楽的手法や意図する表現があり、アニメーション監督が自身のイメージを作品に落とし込む行為とは別の、意図しなかったものがそこには浮かび上がる。
それは、作品の物語における別の側面、映像に描き切れなかった表情の一部として想起されるはずだ。
アニメに添えられる“劇伴”とは、キャラクターの感情や出来事についてときに能弁に説明する。それらが、観る者に高揚感や感動の情念という、心の動きをもたらす。あくまで映像は万能ではなく、
音楽にしろ限られた時間の中ですべてを描くことは難しい。
また、劇伴楽曲の制作方法としては、映像に合わせて音を鳴らす必要があるため、タイミングも1秒刻みで精密な時間配分を要求されるのが常だ。そのような時間的制約を取り払うことで、新たなバリエーションが生まれてくる。
本作「ガルパン」の音楽は、“戦車道”をめぐる少女たち戦いの記録を捉えた映像の補完であるといえる。膨大な登場人物がそれぞれに個性豊かで、かつ多感な年ごろである彼女たちを表現するには、映像のみに頼るべきではないだろう。作曲家のイメージする世界を通して、聴き手は作品内に新たなシーンを発見できるかもしれない。
表現的手法の選択のひとつとして、本作は優れた“バリエーション(変奏曲)”となっているといえよう。