タランティーノ監督の『ワンスアポンアタイムインハリウッド』公開にあやかろうとしたのか、2019年はマンソンファミリーやシャロン・テートを描いた映画が複数ひっそりと公開された。この映画もそのワンハリ特需から公開された映画である。
主人公は、大きなスーパーマーケットを営む富豪、レノ・ラビアンカとその妻ローズマリーを殺害したレスリー・ヴァン・ホーテンである。彼女はラビアンカ夫妻殺害から数ヶ月後、収監され、彼女とともに収監された、シャロン・テートとその友人達殺害の実行犯であるスーザン・アトキンスとパトリシア・クレンウィンケルと共に互いをマインドコントロールするかのように結束を固め、自分たち以外の他人に心を開かなかった。しかし、あるソーシャルワーカーと出会い、彼女たちはマンソンファミリーとして過ごした日々を語り、やがて自分たちが犯した罪の重さを認識していくという内容。
正直な話。かなり時系列がぐちゃついており、さらに、歌唱力と顔立ちから起用されたのだろうが、小柄だったリアルマンソンと比較してマンソン役の俳優が長身であったり、尺の都合で詳細をはしょったのだろうという推測を差し引いても、マンソンがレコードデビューを勝ち取ろうとスパーン牧場にテリー・メルチャーを招くシーンでは、マンソンのバックコーラスを担当する少女たちが貧相なおっぱいを晒してテリーを惹き付けようとする陳腐な色仕掛けシーンがあったり、さらに少しだけ出てくるシャロン・テートがシャロン・テートというよりも小悪魔アゲハの読者モデルやっているキャバクラ嬢みたいなけばけばしい容姿なのがツッコミどころばかりで失笑してしまう。
しかし、マンソンがいかに少女たちをマインドコントロールしていくかがわかり、特に傷が残るほどの虐待を受けた過去をもつ少女を裸にして心の傷に塩を塗り込んだ後に優しく抱きしめ、甘い言葉をささやくさまは典型的なカルトの手口でおぞけが走り、レスリー、スーザン、パトリシアが「チャーリーが言っているから(Charlie says)」と前置きで物事を語る癖が染み付くのも、黒人の市民運動家を激昂させるほど馬鹿げた教義、「黒人がやがて暴動を起こすが、彼等は愚かだからマンソンファミリーが彼等を導き新世界を作る」を頑なに信じてしまうのも仕方ないのかと思う程だ。
だからこそ、犯した罪は消えなくとも、終盤、レスリーたちがマンソンの呪縛から解き放たれるさまは少しだけ安堵するのである。そして、中盤にレスリーがコミューンの資金集めのためにバイカーたちに売春するシーンがあり、レスリーに本気で惚れたバイカーがレスリーに逃げようと勧め、ラストシーンではその幻のもしもが成就するシーンが挿入されるのだが、史実と照らし合わせると無理だと舌打ちしてしまう。マンソンファミリーが瓦解し始める69年には脱走したメンバーらしき変死体がスパーン牧場近くでいくつか見つかる事件があるからだ。なのでそんな粗がちらほら目立つが、マンソンのコミューンの狂った教義や歪な生活がうまく描けているのは評価して星3つ。