あまり現在の評論は読まずに購入してしまいました。一部では「なぜ今頃カラヤン・ザルツブルク版を再演?」とも言われていたのは知っています。
このBlu-rayはまだ一度しか見ていませんが、色々と思うところがあります。
その当時の、1960年代の国際情勢、ベルリン危機は終わったが壁は完成してしまった冷戦体制のど真ん中、プラハの春は68年・その後のチェコ事件。オーストリアはEECにもNATOにも加入していず中立国の状態。
一方でその当時の文化というと、ビートルズはサージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンドの格好して「イエローサブマリン」のアニメを作ってました。いっぱい007が登場した「カジノロワイヤル」もこの頃。日本ではハナ肇がバンダナしてヒッピーしてました。
そんなイメージの時代に、バイロイトに対抗してカラヤンが始めたザルツブルク復活祭音楽祭、当然このワルキューレがカラヤンのやりたかったことだと思われます。でも「銜えタバコでおらつくジークムント」、「神経質なフンディング」、「場末のすさんだジークリンデ」、「甲冑からゴージャスなローブに着替えるヴォータン」、「木馬の頭を持ってはしゃぎ回る子供のブリュンヒルデ」。こんなんだからちょうちょくと登場してくるフリッカにはあまり驚きません。
その後のシュローに始まるバイロイト演出から見るとその魁なのかも知れませんが、私には「ポップアート」的な、60年代サブカルチャー的な印象が大きいです。時代的背景はその後の多くの本・文献・ビデオ・写真で知ったことが多くて、本当にその時代の文化的意味を知っているのかというと、すごく恥ずかしい表面的かつ偏見のある見方であるとは十分に自覚しています。でもこれが本当に「カラヤンがヴィーラント・ワーグナーに対抗してやりたかったことだったのか?」ということを考えながら、でもこれまでのCDで聴いて来た演奏を思い出し、いわゆる「モーツアルト的ワーグナー演奏」や「アングロサクソンとスラブ系重用の配役」、そして音響的にはどんどんと「オンマイク」になり全体的な響きよりも「細かな音撮り優先」になっていく録音、などなどが連想されてしまいます。
CDの音源や70年代の「ラインの黄金」のLDも所有しており、Blu-ray オーディオの指輪も購入してみようかと考えていたのですが、このような演出・映像の元で録音していたのかと思うと、今は興味が持てなくなりました。そんなところが今の印象です。