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女は二度決断する [Blu-ray]

3.9 5つ星のうち3.9 87個の評価

仕様
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新品 中古品
Blu-ray 通常版
¥10,000 ¥6,949
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フォーマット ワイドスクリーン, 色, ドルビー
コントリビュータ サムア・ムリエル・シャンクラン, ウルリッヒ・トゥクール, ヨハネス・クリシュ, ダイアン・クルーガー, ヌーマン・アチャル, ファティ・アキン, デニス・モシット
言語 英語
稼働時間 1 時間 46 分

Fashion x レジャー タイムセール祭り開催中 5/14[火]23:59まで
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商品の説明

砕かれた愛、癒えぬ悲しみ。
この魂が私を突き動かす。

・ゴールデングローブ賞 外国語映画賞、カンヌ国際映画祭主演女優賞受賞!
・第90回アカデミー賞(R)外国語映画賞ドイツ代表作品。
・監督はドイツの名匠ファティ・アキン。ベルリン、カンヌ、ヴェネチア、世界三大国際映画祭すべてで主要賞 受賞経験を持つカリスマ監督。
・ダイアン・クルーガーが初めて母国語であるドイツ語で演じ、迫真の演技を魅せる!
・音楽はアメリカン・ロック界の雄クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジのジョシュ・オム

ストーリー
ドイツ、ハンブルク。カティヤはトルコ系移民であるヌーリと結婚する。かつてヌーリは麻薬の売買をしていたが、現在は足を洗い、カティヤとともに真面目に働き、息子ロッコも生まれ、幸せな家庭を築いていた。ある日、ヌーリの事務所の前で白昼に爆弾が爆発し、ヌーリとロッコが犠牲になる。外国人同士の抗争を疑い警察は捜査を進めるが、在住外国人を狙った人種差別主義のドイツ人によるテロであることが判明する。容疑者は逮捕され裁判が始まるが、被害者であるにも関わらず、人種や前科をあげつらわれ、なかなか思うような結果の出ない裁判にカティヤの心の傷は深まってゆく。愛する人、愛する子供と生きる、ささやかな幸せ。それが一瞬にして壊されてしまった。絶望の中、生きる気力を失いそうになりながら、カティヤがくだす決断とは――。
ドイツ警察の戦後最大の失態と言われるネオナチによる連続テロ事件。初動捜査の見込み誤りから、10年以上も逮捕が遅れ、その間、犯人は殺人やテロ、強盗を繰り返した。それらの実際の事件に着想を得て『女は二度決断する』は生まれた。理不尽な暴力により、愛する家族を奪われたあるひとりの女性が、捜査や裁判の過程によって更に心を引き裂かれる。もしも自分の家族に突然悲劇が起きたならば、そのときにどうするのか? これ以上ない悲しみを湛えて迎える衝撃的な結末は、すべての人の心を強く揺さぶる。

キャスト
■ダイアン・クルーガー
■デニス・モシット
■ヨハネス・クリシュ
■サムア・ムリエル・シャンクラン
■ヌーマン・アチャル
■ウルリッヒ・トゥクール

スタッフ
■監督・脚本:ファティ・アキン
■共同脚本:ハーク・ボーム
■音楽:ジョシュ・オム

特典
■映像特典(約31分)
・インタビュー集(ストーリー/ダイアンとファティ/ダイアン・クルーガー/デニス・モシット
/ダイアン、作品を語る/ファティ、作品を語る/カンヌ)
・来日記者会見
・予告編(劇場版/TVスポット版)

登録情報

  • アスペクト比 ‏ : ‎ 1.78:1
  • 言語 ‏ : ‎ 英語
  • 製品サイズ ‏ : ‎ 30 x 10 x 20 cm; 20 g
  • EAN ‏ : ‎ 4907953270893
  • 監督 ‏ : ‎ ファティ・アキン
  • メディア形式 ‏ : ‎ ワイドスクリーン, 色, ドルビー
  • 時間 ‏ : ‎ 1 時間 46 分
  • 発売日 ‏ : ‎ 2018/11/2
  • 出演 ‏ : ‎ ダイアン・クルーガー, デニス・モシット, ヨハネス・クリシュ, サムア・ムリエル・シャンクラン, ヌーマン・アチャル
  • 字幕: ‏ : ‎ 日本語
  • 言語 ‏ : ‎ ドイツ語 (Dolby Digital 5.1)
  • 販売元 ‏ : ‎ Happinet
  • ASIN ‏ : ‎ B07FNL9LKF
  • ディスク枚数 ‏ : ‎ 1
  • カスタマーレビュー:
    3.9 5つ星のうち3.9 87個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中3.9つ
5つのうち3.9つ
87グローバルレーティング

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憎悪を断ち切るには、これしかなかったのか?
4 星
憎悪を断ち切るには、これしかなかったのか?
トルコ系ドイツ人ファティ・アキン監督、2017年公開の長篇12作目。 実在するドイツの極右テロ国家社会主義地下組織(NSU)が起こした事件を基に、身近な友人の家族が被害に遭ったという監督が脱退者たちに綿密な取材を行い、仕上げた労作。 何処にでもいそうな家族の場景から一転して悲劇へ、そして訴訟から法廷闘争に発展。 契約社会ハリウッドの裁判物と一味違い、かつてプロイセン欽定憲法やヴァイマル憲法を生んだ国家だからか、厳格さ峻峭さが異なり、且つ解り易い。 爆破テロ容疑者夫婦の弁護士を演じるヨハネス・クリシュの相貌、台詞の言い回しが、なかなかのインパクト。 あまり出番はないものの、如何にもゲルマン系らしく顎が張った主演のダイアン・クルーガー(画家ベックリンの妻アンジェラに似てない?)を凌駕する存在感を示している。 原題『Aus dem Nichts』を直訳すれば、“何処からともなく”という曖昧な意味に過ぎないが、邦題にある“二度”目の決断は、まさに「こう来たか!」というニュアンスで、深い余韻を残す。 しかし、結末はこれしかなかったのか、もう一捻りして欲しかった気もするが、それでは衝撃度が落ちるからなあ……。
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上位レビュー、対象国: 日本

2023年9月19日に日本でレビュー済み
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女性の決断!
2022年11月17日に日本でレビュー済み
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最後でもってく映画
2023年3月23日に日本でレビュー済み
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社会の問題とか人間の出自の事情とか宗教の事とか、おそらく他にも日本人の私にはピンとこないような問題も複雑に絡んでいるのであろうと感じる映画であった。
ラストはそうするか?となんだかモヤモヤしてしまった。アジア人なら他の闘い方も考えるのでは?とも思う。
2023年7月29日に日本でレビュー済み
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人間のあらゆる側面がクリアに描かれていて、俳優も皆素晴らしい、終始胸を打たれた。
佳作!
2021年7月21日に日本でレビュー済み
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救い難い内容で見た後はどんよりしました。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年3月28日に日本でレビュー済み
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ドイツ統一後の90年代、不況と移民増加から極右が社会問題化する。人権や法治主義という民主主義の根幹を否定する極右は人種や民族主義を掲げ、ネオナチによる外国人やマイノリティーへの敵視、暴力行為が活発化した。そして、この映画のベースとなる2000年代初頭に発生したネオナチ組織NSUによる連続テロ事件(監督はこの事件だけではなく、それ以前から構想していたと述べている)につながっていく。

この事件では、ドイツ警察が移民同士の抗争と判断し初動を誤ったことで、犯人逮捕まで11年かかった。その上、犯人は一部が自殺、残りも17年経った映画公開時にはまだ裁判中と、被害者遺族からすれば劇中の描写同様、まさしく不条理かつ正義は果たされていないのである。

映画のラスト、カティヤは、文字通り「二度」犯行を決断する。小鳥の命により思いとどまったが、(あの小鳥は偶然撮れたらしい)、生理がもたらした新しい選択肢・可能性によって再び決断される。

ちなみに「二度」の解釈は、家族を失った絶望から、法による正義の鉄槌を下そうと決意、その思いが挫かれ、自ら鉄槌を下す決意、この二度ともとれる。さらに自死の決断も二度であり、ラストシーン。あぁ、サムライのタトゥーは「討死」か、人を呪わば穴二つか、ファティ・アキン監督は知日派らしいしな。。。

いやいやまてまて。そんなわけない、これは
ドイツ映画で原題は「虚無から」。邦題は日本向けに、いかにもサスペンス、エンタメ色強めのタイトルになっているでは、、、

というわけで再考、もう少し深掘り。

案の定、監督によればサムライは「東洋」「家族」「気高さ」のモチーフ。家族愛を守り仇討ちを信条とするカティヤのことだろう。復讐については当初から決まっていたらしく、このラストに帰結するために主人公を女性にしたという。

監督いわく、男性が主人公の場合、どうしても正義や倫理といった観点からの論理性が問題になってしまうが、女性にすることで全て解決した、とのこと。つまり、子供を失った母の悲しみは、そうした論理性や政治性を突破して普遍性を持つということだ。

懸念した通り、ヨーロッパでは「途中から論理性を欠く」「描写が表面的」という酷評も多い。特にイギリスでは、レイシストとの批判すらあったらしい。だが監督が「現実には間違いと知っているが、誰もが復讐心を持っている。映画だから可能であり、それを浄化できる」と述べているように、劇中でも明確に復讐が否定されている。

バスタブでの一度目の無から、無罪判決の二度目の無を経て、第 3 章「海」に至る。ここでロッコとヌーリが海に入り、カティアを誘うシーンが繰り返し入る、これがカティアの死のモチーフだ。注目すべくは大ラス、燃え広がる炎と煙に合わせて、上方へ向けてゆっくりカメラはパンして、やがて画面一面に青空かと思ったら、いつの間にか反転して海になる。

つまり、カティアは海に逝ったわけだが、なぜだろう。テロの被害者であるヌーリとロッコは天上の楽園にいるはずだ。だが法の正義に裏切られ自ら復讐を決意したカティヤは、デスメタルをBGMにタトゥーを完成させる。このサブカルは明らかにネオナチのメタファーだ。つまり、カティヤ自身がネオナチ化して、終いには自爆テロ犯となるのだから、当然二人のいる天上にはいけないのである。

監督が言うように、法や復讐が持つ正義の多義性が表現されているのだが、被害者側のネオナチ化という描写で明確に報復の連鎖を批判し、さらに主人公を典型的なドイツ人にすることで、それを普遍的にしている。

つまり、劇中の警察にみられる普通のドイツ人の中にある差別意識の延長線上にネオナチがいるのである。事実、90年代のネオナチの難民施設襲撃に対して、近隣住民が歓声を上げている姿が報道されている。さらに、2000年代以降の特徴は、ドイツ人vs移民というステレオタイプではなく、ドイツ人同士の殺し合いだと監督は言っているのである(移民二世、三世)。いわゆる、移民の統合の失敗の問題ではないことに注意が必要なのだ。なぜなら、ドラッグを克服し、父権的暴力的側面をもたないトルコ=クルド系のヌーリは、脱トルコ的でドイツに統合された人物として描かれているからだ。これが、カティヤの対比になっている。

トルコ風呂に通い、アメスピを吸い、ドラッグをやる多文化化した現代ドイツ人たるカティヤがネオナチ化する姿は、グローバリズムによる反動としての右翼ポピュリズムの台頭と、ネオナチ自体のトランスナショナル化を示唆している。ギリシャはそのモチーフだろう。実際、監督はリベラルエリートへの批判を口にしているし、現在のヨーロッパの姿そのものでもある。

結局、虚無から生まれる悲しみの果ては、海の藻屑であり、それはやはり虚無(だからそこから抜け出さなければ)ということだろう。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2020年7月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
久々にすごい映画を見た満足感と衝撃的な結末により、他の映画ではさっさと飛ばしてしまうエンドロール中、しばし虚脱状態で呆然としてしまいました。

第一章
生粋のドイツ人女性のカティヤは、麻薬取引で服役中のクルド系移民であるヌーリと獄中結婚する。
時がたち、出所し更生したヌーリの商売はまずまず順調で、六歳の息子ロッコにも恵まれ、ささやかながらも幸せな毎日を送っていたある日、ネオナチの手による移民を狙った爆弾テロによって夫ヌーリと最愛の息子ロッコを失う。
自暴自棄になり再び麻薬に手を染めてしまい一度は自殺を図るが、容疑者が逮捕されたとの報を受けて立ち直り、法廷で争うことを決断する。

第二章
しかし裁判でヌーリやロッコの遺体の検死状況を聞かされたり、ヌーリの前科やカティヤの麻薬使用歴など本筋とは異なる部分を容疑者の弁護士から攻撃され、法廷でさらに傷つけられるカティヤ。
容疑者にとって不利となる目撃証言や、物的証拠などが次から次へと出てきて当然有罪判決が出ると思いきや、証拠不十分とみなされ推定無罪の原則に則り、一審ではまさかの無罪判決が出てしまう。

第三章
二審の控訴期限が迫る中、容疑者の協力者と容疑者を追い詰めるカティヤ。
ついに容疑者の潜伏先を突き止め、復讐を誓うカティヤが取った一度目の決断と、思いとどまった後の二度目の決断とは!?

一見救いのないバッドエンドなのですがどこか爽快感のある納得の結末。
三章に分かれた構成力の見事さ。
主演女優、ダイアン・クルーガーの素晴らしい演技。
根本的なテーマとなる移民問題とネオナチによる排外主義の暴力的な衝突。
不謹慎ですが、このようなすごい映画は平和ボケの日本が舞台では作れませんよね。

事件のショックで止まっていたカティヤの生理が、二度目の決断の直前に再び始まる描写があり、男の私にはちょっとわかりにくかったのですが、おそらく生理が止まっていた間のカティヤの精神状態はある意味異常で、生理が戻ったカティヤの精神状態は正常になり、きわめて冷静かつ穏やかな気持ちで二度目の決断をしたことを表したかったのではないか思います。

ドイツはすでに死刑制度が完全に廃止されているため、仮に裁判に勝ったとしても容疑者は最高でも終身刑にしかならず、被害者家族としては絶対に納得いかないでしょう。
死刑制度があれば犯罪を抑止できるかどうかは疑問ですが、最低でも国家が被害者家族の代わりにかたき討ちを行ってくれる(かもしれない)一縷の望みがあればまた違った結末になったでしょうね。

本当は星五つでは足りない感じなのですが、最後の星一つは「スーパーひとし君」あつかいとさせてください。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年1月11日に日本でレビュー済み
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日本でも、興行トップを争う種類の映画を除いた全映画の中では、良い評も多数上がった話題作であったと思う。見ておくべき物、の様な念押しの現代的な映画として。異論を差し挟むつもりもない。が、私的にはそんなかな?と思う。それよりもっと違う物が見れるんじゃないかと思う。それは、世界です。日本にはなくて、世界ではゴロゴロそこらに転がっている世界というものが。

服役中の男が釈放されてその場、刑務所内でアツアツに挙式を上げるカップルですよ。まず主人公たちは。そしてクルド人とドイツ人の男女の夫婦、その子ども。日本にもインターナショナルなカップルは珍しくなくなった。が、国を持たないトルコからイラン、イラク、シリアに股がる地域に何千万人とも言われる人、クルド人。トマト煮込などが美味な銀食器のイスラム圏の人は日本にはほぼお目に掛からない。

そしてそんな人が切り盛りする店前で爆破事件が起こり、クルド人の旦那と6歳の息子が亡くなる。これも日本では日常茶飯事ではない。そして話にはよく出る「爆破」事件での死者はどの様な死因になるか、新聞で日本では1度でも載った事があるか。釘爆弾などというポピュラーみたいな名前を着けて呼んだりして。その実の死因たるや、裂傷、破壊、千度の熱で溶解するなどあらゆる体の箇所がまるで血の池地獄で屠蓄されたかの様な有り様になる報告が劇中でなされる。一言で爆弾テロなどと言ってもその起きる惨状は一生震えが止まらない様相だと知れる。パチンコやアイドル、又はポルノ映画くらいしか気分転換のない日本の男の憂さ晴らしからその実情は程遠い。が、ご覧にいれよう世界の有り様を、というのが本作品だと思う。

そんな犯罪をどう裁き、防ぎ、嘆き、共に生きるのか。日本で賑わすのが不倫や漫才の審査過程がどうのと言っているレベルではない。それに触れられるという意味で、見ておくべき作品だと私は思うのだが。でもそんな混迷の世界をこちらからわざわざ見たいだろうか。だから話題作と言ってでも釣らないと誰も見たがらない種類の「世界の日常茶飯事」がこの映画だと思う。