ドイツ人のアンナ、フランス人のアドリアンの間に横たわる“フランツ”の存在。誰も誰かの身代わりにはなれやしない。途中フォーカスが替わる時のお互いの立場、孤独さがやるせない。 アンナの重ねた嘘は彼女の強さ故。タイトルは原題の“フランツ”の方が良かったかも。
主演のピエール・ニネは繊細で苦悩に満ちた役所でしたが(乱れた髪も美しい)特にヒロインを演じるパウラ・ベーアに魅せられました。ショパンのノクターン、ルーヴル美術館のマネの絵画、ヴェルレーヌの詩篇は此の作品を観た後別の印象に変わりました。
予備知識無く鑑賞した方が謎めいた雰囲気と驚きを体感出来る様な気がします。
婚約者の友人 [Blu-ray]
フォーマット | 色, ドルビー, DTS Stereo, ワイドスクリーン, モノ |
コントリビュータ | フランソワ・オゾン, アントン・フォン・ラック, パウラ・ベーア, ピエール・ニネ |
言語 | フランス語 |
稼働時間 | 1 時間 53 分 |
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商品の説明
愛する人の墓の前で泣いていた男。
彼の正体が明かされた時、新たな謎の扉が開く―。
◆フランス映画No.1ヒット!
『スイミング・プール』『8人の女たち』フランソワ・オゾン監督最新作は、エレガントな本格ミステリー。
◆モノクロ×カラーの映像美が仕掛ける頭脳と心を揺さぶる極上のミステリー!
◆謎の男には『イヴ・サンローラン』の主演で来日も果たしたピエール・ニネ。
ベルリン映画祭で新人賞を受賞したパウラ・ベーア扮するヒロインを怪しく惑わす。
第73回ヴェネツィア映画祭正式出品 マルチェロ・マストロヤンニ賞受賞
第42回セザール賞11部門ノミネート 撮影賞受賞
第30回ヨーロッパ映画賞、脚本賞・女優賞ノミネート
【映像特典】
未公開シーン集 (約13分)
ヴェネチア映画祭プレミア映像(約6分)
ポスタービジュアルスライドショー
衣裳と照明のテスト
劇場予告編(オリジナル、日本版)
【ストーリー】
1919年、戦争の傷跡に苦しむドイツ。
婚約者のフランツを亡くし哀しみの日々を送っていたアンナは、ある日フランツの墓に花を手向けて泣いている見知らぬ男に出会う。
戦前にパリでフランツと知り合ったと語る男の名はアドリアン。
アンナとフランツの両親は彼の友情に感動し、心を癒される。
だが、アンナがアドリアンに“婚約者の友人"以上の想いを抱いた時、アドリアンは自らの“正体"を告白する。
いくつもの謎を残したまま姿を消したアドリアンを捜すために、フランスへ旅立つアンナ。パリ管弦楽団、ルーヴル美術館と、心当たりを訪ね歩くアンナは、アドリアンが入院したという病院にたどり着き、衝撃の記録を見つけるのだが-。
登録情報
- アスペクト比 : 2.35:1
- 言語 : フランス語
- 製品サイズ : 30 x 10 x 20 cm; 80 g
- EAN : 4988111153241
- 監督 : フランソワ・オゾン
- メディア形式 : 色, ドルビー, DTS Stereo, ワイドスクリーン, モノ
- 時間 : 1 時間 53 分
- 発売日 : 2018/4/27
- 出演 : パウラ・ベーア, ピエール・ニネ, アントン・フォン・ラック
- 字幕: : 日本語
- 言語 : フランス語 (Dolby Digital 5.1), ドイツ語 (DTS 5.1)
- 販売元 : KADOKAWA / 角川書店
- ASIN : B079T1CW5G
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 123,397位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 9,145位ブルーレイ 外国映画
- - 11,801位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年2月16日に日本でレビュー済み
フランソワ・オゾンのサスペンス・ミステリータッチのメロドラマです。ほとんどのシーンがモノクロで映し出されます。
舞台は1919年のドイツ、クヴェードリンブルク。第一次世界大戦がもたらした深い傷が癒えぬまま、なんとか日常を取り戻そうと人々が暮らす街。
主人公の女性ハンナは、戦争によって婚約者フランツを失うも、ほかに身寄りもなく、フランツの両親のもとに身を寄せて暮らしていた。そこに来たのが、大戦での敵国人であるフランス人青年エイドリアン。フランツの友人だったという彼と、ハンナとフランツの両親のあいだには、はじめ戸惑いや反発があったものの、次第に親密な絆が生まれていく。だが、エイドリアンにはなにか秘密があるようで…。というのが物語のツカミです。
既視感がある話だなと思い、見終わったあとに調べてみたら、原案はモウリス・ロスタンの戯曲とのこと。今回はじめて、エルンスト・ルビッチ監督作『私の殺した男』が同じ戯曲を原案にしていたと知りました。
戯曲を知らないので原案との比較はできませんが、本作では『私の殺した男』にくらべると、おもな視点がフランス人青年からドイツ人女性へと移り、ルビッチの作品にはない展開が後半部にあります。
全体的な演出はそれこそルビッチの活躍した1930年代、40年代の映画のよう。さすがにスクリーンサイズ比がスタンダードではなくシネマスコープですが、モノクロの画面づくりにはこだわりを感じさせます。
ありがちなメロドラマ的な展開を見せ切るストーリーテリングのうまさは、さすがのフランソワ・オゾン。飽きずに観ていられます。とくに前半部のドイツを見るフランス人の視点を、後半部にフランスを見るドイツ人の視点に反転することで、反戦ないし厭戦メッセージを平等かつ二重に強調する手際も軽やか。
(本作は物語の構造を知らないほうがおもしろい作品です。以下でも極力ぼやかしてはいますが、構造部分に触れていますので、読まないほうが楽しめると思います)
それでもやはり、敵国人どうしのロマンスも、音楽をはじめとする演出も大昔のメロドラマの焼き直しにしか見えません。反戦や和解のメッセージもたしかに賛同はしますが、お行儀がよすぎて平凡。要所のシーンで見せるモノクロからカラーへの変化もさほど効果的に見えません。
評者は何年かぶりにオゾン作品を観たためか、途中までは「オゾンってこんな作品撮る人になったの?」と困惑してしまいました。
しかしながら最後の4分の1で、「ああ、これはオゾンの作品だ」と納得。ここでショッキングな展開が待ち受けてるんだろうなと誰もが予想するところで、食らわされるのは肩すかし。しかも描かれるのは、女どうしの嫉妬や男のふがいなさといった下世話な話。それまでの対立と宥和といった崇高なテーマを一笑にふします。
まるで、対立する国家(国民)どうしの安易な宥和なんて成り立たない、劇的な男女のロマンスなんてフィクションだ、と言わんばかり。ルビッチ版『私の殺した男』に代表されるように、戦争さえもメロドラマにしてしまうことへ皮肉なまなざしを投げかけます。
日本での公開時期が近かったこともあり、個人的にはポール・ヴァーホーヴェン監督作『ELLE』を連想しました。まったく作風は違うのですが、双方ともパターン化された物語やキャラクターに対する嫌悪にもとづき、作中に観客に対するいじわるな「毒」がもられているからです(『ELLE』とは違い、本作にはショッキングなドンデン返しがあるわけでもありませんが)。
しかも最後の着地が女性讃歌になっている点も同じ。不条理にさらされながらも生きようと決意する女性の姿が、美しく力強く謳われています。
舞台は1919年のドイツ、クヴェードリンブルク。第一次世界大戦がもたらした深い傷が癒えぬまま、なんとか日常を取り戻そうと人々が暮らす街。
主人公の女性ハンナは、戦争によって婚約者フランツを失うも、ほかに身寄りもなく、フランツの両親のもとに身を寄せて暮らしていた。そこに来たのが、大戦での敵国人であるフランス人青年エイドリアン。フランツの友人だったという彼と、ハンナとフランツの両親のあいだには、はじめ戸惑いや反発があったものの、次第に親密な絆が生まれていく。だが、エイドリアンにはなにか秘密があるようで…。というのが物語のツカミです。
既視感がある話だなと思い、見終わったあとに調べてみたら、原案はモウリス・ロスタンの戯曲とのこと。今回はじめて、エルンスト・ルビッチ監督作『私の殺した男』が同じ戯曲を原案にしていたと知りました。
戯曲を知らないので原案との比較はできませんが、本作では『私の殺した男』にくらべると、おもな視点がフランス人青年からドイツ人女性へと移り、ルビッチの作品にはない展開が後半部にあります。
全体的な演出はそれこそルビッチの活躍した1930年代、40年代の映画のよう。さすがにスクリーンサイズ比がスタンダードではなくシネマスコープですが、モノクロの画面づくりにはこだわりを感じさせます。
ありがちなメロドラマ的な展開を見せ切るストーリーテリングのうまさは、さすがのフランソワ・オゾン。飽きずに観ていられます。とくに前半部のドイツを見るフランス人の視点を、後半部にフランスを見るドイツ人の視点に反転することで、反戦ないし厭戦メッセージを平等かつ二重に強調する手際も軽やか。
(本作は物語の構造を知らないほうがおもしろい作品です。以下でも極力ぼやかしてはいますが、構造部分に触れていますので、読まないほうが楽しめると思います)
それでもやはり、敵国人どうしのロマンスも、音楽をはじめとする演出も大昔のメロドラマの焼き直しにしか見えません。反戦や和解のメッセージもたしかに賛同はしますが、お行儀がよすぎて平凡。要所のシーンで見せるモノクロからカラーへの変化もさほど効果的に見えません。
評者は何年かぶりにオゾン作品を観たためか、途中までは「オゾンってこんな作品撮る人になったの?」と困惑してしまいました。
しかしながら最後の4分の1で、「ああ、これはオゾンの作品だ」と納得。ここでショッキングな展開が待ち受けてるんだろうなと誰もが予想するところで、食らわされるのは肩すかし。しかも描かれるのは、女どうしの嫉妬や男のふがいなさといった下世話な話。それまでの対立と宥和といった崇高なテーマを一笑にふします。
まるで、対立する国家(国民)どうしの安易な宥和なんて成り立たない、劇的な男女のロマンスなんてフィクションだ、と言わんばかり。ルビッチ版『私の殺した男』に代表されるように、戦争さえもメロドラマにしてしまうことへ皮肉なまなざしを投げかけます。
日本での公開時期が近かったこともあり、個人的にはポール・ヴァーホーヴェン監督作『ELLE』を連想しました。まったく作風は違うのですが、双方ともパターン化された物語やキャラクターに対する嫌悪にもとづき、作中に観客に対するいじわるな「毒」がもられているからです(『ELLE』とは違い、本作にはショッキングなドンデン返しがあるわけでもありませんが)。
しかも最後の着地が女性讃歌になっている点も同じ。不条理にさらされながらも生きようと決意する女性の姿が、美しく力強く謳われています。
2019年5月2日に日本でレビュー済み
戦争で婚約者フランツを失ったアンナ。
フランツの墓に花を手向け、アンナと親しくなるアドリアン。
そんな背景がある。
ただ、自分の中では戦争映画でも恋愛映画でもなかった。
印象に残るのは「嘘」。
特に、相手にどうしても伝えなければならない、
でも相手のことを想うと話せず、仕方なくつく嘘。
そして正直に話せないことによる苦しみ。
これがきわ立った。
話したり行動したりする直前に、思ったことをのみ込む一瞬。
ここに想いが詰め込まれていると思った。
表に出さない分だけ、逆に想いの強さが増すのだろうか。
この作品は、全てのシーンに深い意味があり、
むだなシーンがないと思う。
一見静かではあるが、奥底に熱い想いがあり、
じっと見入ってしまう、そんな作品。
大好きな作品。
一つだけ、わからなかったのは、随所に出てくるマネの絵。
深い意味があるのだと思うが、まだよくわからない。
フランツの墓に花を手向け、アンナと親しくなるアドリアン。
そんな背景がある。
ただ、自分の中では戦争映画でも恋愛映画でもなかった。
印象に残るのは「嘘」。
特に、相手にどうしても伝えなければならない、
でも相手のことを想うと話せず、仕方なくつく嘘。
そして正直に話せないことによる苦しみ。
これがきわ立った。
話したり行動したりする直前に、思ったことをのみ込む一瞬。
ここに想いが詰め込まれていると思った。
表に出さない分だけ、逆に想いの強さが増すのだろうか。
この作品は、全てのシーンに深い意味があり、
むだなシーンがないと思う。
一見静かではあるが、奥底に熱い想いがあり、
じっと見入ってしまう、そんな作品。
大好きな作品。
一つだけ、わからなかったのは、随所に出てくるマネの絵。
深い意味があるのだと思うが、まだよくわからない。
2018年8月15日に日本でレビュー済み
戦争でドイツの青年を撃ち殺したフランスの青年が、その罪のゆるしを求めてさすらいます。
殺されたドイツ人の婚約者にとって、フランス人がゆるすべきか否か迷う相手になり、同時に、愛すべきか愛さざるべきか迷う相手になります。
戦争のさなかに、殺人者の立場に立ったフランス人は、管弦楽団のヴァイオリン奏者であり、田舎のお屋敷の子弟でありフランス人でありながら、ドイツ語をあやつれる異文化の良き学習者でもありました。
娘は、教会の神父の前で告解します。
神父はゆるすべきだ、と言います。
そして、ゆるして、さらに愛そうとしましたが、フランス人には幼馴染の婚約者がすでにいたのです。
フランス青年とドイツ娘、フランス青年とフランス娘、いずれも不自然ではない関係です。
しかし、両立しないものです。
ゆるしの問題と、男女間の愛情の問題と、別次元のものが交錯します。
佳作。
殺されたドイツ人の婚約者にとって、フランス人がゆるすべきか否か迷う相手になり、同時に、愛すべきか愛さざるべきか迷う相手になります。
戦争のさなかに、殺人者の立場に立ったフランス人は、管弦楽団のヴァイオリン奏者であり、田舎のお屋敷の子弟でありフランス人でありながら、ドイツ語をあやつれる異文化の良き学習者でもありました。
娘は、教会の神父の前で告解します。
神父はゆるすべきだ、と言います。
そして、ゆるして、さらに愛そうとしましたが、フランス人には幼馴染の婚約者がすでにいたのです。
フランス青年とドイツ娘、フランス青年とフランス娘、いずれも不自然ではない関係です。
しかし、両立しないものです。
ゆるしの問題と、男女間の愛情の問題と、別次元のものが交錯します。
佳作。
2018年2月19日に日本でレビュー済み
カラーとモノトーンの混成といえば、ゲイリー・ロス監督「カラーオブハート」のように、徐々にカラーへ移行するものから、最近では「ゴッホ 最後の手紙」の現在と過去で色がはっきり分かれている物がある。
本作は、ほぼモノトーンでできており、カラーシーンが数回入る構成になっている。監督曰く、「湖を歩いているシーンはカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの絵を参考にしたので、色を入れたかった」、その他のカラーシーンは「強い感情を表現する時に」とあいまいな表現をしているが、私としては主人公が前向きになった時に入れていると思う。
主人公(ドイツ人)が婚約者の友人(フランス人)に第一次世界大戦後に婚約者との関係について問うところから始まるミステリーになっている。特段難解なミステリーではないが、ただのミステリーで終わらせず、不幸があろうとも生き続けるというメッセージが込められています。
おススメです。
本作は、ほぼモノトーンでできており、カラーシーンが数回入る構成になっている。監督曰く、「湖を歩いているシーンはカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの絵を参考にしたので、色を入れたかった」、その他のカラーシーンは「強い感情を表現する時に」とあいまいな表現をしているが、私としては主人公が前向きになった時に入れていると思う。
主人公(ドイツ人)が婚約者の友人(フランス人)に第一次世界大戦後に婚約者との関係について問うところから始まるミステリーになっている。特段難解なミステリーではないが、ただのミステリーで終わらせず、不幸があろうとも生き続けるというメッセージが込められています。
おススメです。
2018年9月16日に日本でレビュー済み
作品発表の度に物議を醸し出す、フランスのフランソワ・オゾン監督。
主張が半端ねぇくらい強いイメージがあるが、今回は原案戯曲を有する仏独合作の、何とリメイク。
舞台は第一次世界大戦終了直後のドイツ地方都市クヴェードリンブルク、戦死した婚約者フランツの墓へ花を手向けようとしたアンナは、誰かが先に献花しているのを目の当たりにして……。
オープニングは、趣味が好いパステル・カラーからすぐモノクロへ。
以降、要所のみカラーに転じるのだが、昔の“経費削減低予算ピンク映画”のパート・カラーとは裏腹、自然な格調の高さ。
落ち着いて安定した映像の中に時折挿入される幻想シーン、一瞬だけの幽霊など、表現の先端にい続けていたいだろうオゾンの意思をも強く印象付ける一本。
アドリアンがドイツのホテルへ戻る場面でクロイツと地元民たちが合唱する「ラインの護り」、フランツが留学時代泊まったパリのホテルにアンナがいる時に集団で歌われるフランス国歌、両国で鳴った鐘と湧き起こるダンス、アドリアンとアンナがお互い訪れる敵対国の墓地、婚約者を亡くしたアンナと兄を喪ったファニー、フランツとフランソワという名称、場に固執して余所者を排除したがる人間のカルマ、微妙に入り組んだ嘘と真実など、一見シンプル極まる構造中に二重三重にも錯綜した驚くべき鏡像関係を張り巡らせていて、そんなところは、流石はオゾンだとまあ思わせる。
「結婚相手は自分の方から好きになった男じゃないと絶対に嫌!」、という女性はいる。
そのようなアンナを、ドイツの新人パウラ・ベーアが好演。
しかし、彼女に言い寄るクロイツでも好いような気がするんだけどなぁ。
作品として気になるのは、ヒロイン及び婚約者とその両親や少し老け気味の求婚者など主要人物の多くがドイツ人なのに、フランス語、フランス製ドレス、ヴェルレーヌ、オペラ座、パリ管弦楽団、ルーブル美術館、マネ等、あまりにもフランス讃歌ばっかしで、何かおかしくねぇ?
因みにラストに出て来る自殺する男を描いたマネは、10代半ばで罹患した梅毒に生涯苦しみ、進んだ壊疽のため腐った片脚を切断しても恢復せず、最後まで苦しみながら51歳の生涯を終えました。
主張が半端ねぇくらい強いイメージがあるが、今回は原案戯曲を有する仏独合作の、何とリメイク。
舞台は第一次世界大戦終了直後のドイツ地方都市クヴェードリンブルク、戦死した婚約者フランツの墓へ花を手向けようとしたアンナは、誰かが先に献花しているのを目の当たりにして……。
オープニングは、趣味が好いパステル・カラーからすぐモノクロへ。
以降、要所のみカラーに転じるのだが、昔の“経費削減低予算ピンク映画”のパート・カラーとは裏腹、自然な格調の高さ。
落ち着いて安定した映像の中に時折挿入される幻想シーン、一瞬だけの幽霊など、表現の先端にい続けていたいだろうオゾンの意思をも強く印象付ける一本。
アドリアンがドイツのホテルへ戻る場面でクロイツと地元民たちが合唱する「ラインの護り」、フランツが留学時代泊まったパリのホテルにアンナがいる時に集団で歌われるフランス国歌、両国で鳴った鐘と湧き起こるダンス、アドリアンとアンナがお互い訪れる敵対国の墓地、婚約者を亡くしたアンナと兄を喪ったファニー、フランツとフランソワという名称、場に固執して余所者を排除したがる人間のカルマ、微妙に入り組んだ嘘と真実など、一見シンプル極まる構造中に二重三重にも錯綜した驚くべき鏡像関係を張り巡らせていて、そんなところは、流石はオゾンだとまあ思わせる。
「結婚相手は自分の方から好きになった男じゃないと絶対に嫌!」、という女性はいる。
そのようなアンナを、ドイツの新人パウラ・ベーアが好演。
しかし、彼女に言い寄るクロイツでも好いような気がするんだけどなぁ。
作品として気になるのは、ヒロイン及び婚約者とその両親や少し老け気味の求婚者など主要人物の多くがドイツ人なのに、フランス語、フランス製ドレス、ヴェルレーヌ、オペラ座、パリ管弦楽団、ルーブル美術館、マネ等、あまりにもフランス讃歌ばっかしで、何かおかしくねぇ?
因みにラストに出て来る自殺する男を描いたマネは、10代半ばで罹患した梅毒に生涯苦しみ、進んだ壊疽のため腐った片脚を切断しても恢復せず、最後まで苦しみながら51歳の生涯を終えました。
2018年4月7日に日本でレビュー済み
戦死したフランツの墓に花を手向けるフランス人のアドリアンが、不愉快な思いをする事は承知でわざわざドイツまでやって来たのは何故か、彼の話は本当なのか、やや謎めいてはいるがさほど入り組んだ話ではない。少しでも生前のフランツを知りたいという彼の両親とアンナの切ない気持ちに付け込むように、アドリアンは受け入れられるが彼はとても脆弱な感じだ。
全てを知ったアンナが皆に優しい嘘を吐いたところでアドリアンとの関わりを絶てば、美しいメロドラマで終わっただろう。ほぼ白黒の画面なのでまるで昔の映画を見ているような錯覚に陥るし、美男美女の2人はとても絵になる。
けれど話をわざわざややこしくしたアンナは最後一気に存在感を増していき、伯母や母親といった金持ちで美しく強い個性の持ち主を身内に持つアドリアンはハンサムだけど素直な坊ちゃんというだけに成り下がっていく。
一体アンナが何処へ向かっているのか分からないが、マネの絵の前で、とてもドキドキする終わり方だ。
全てを知ったアンナが皆に優しい嘘を吐いたところでアドリアンとの関わりを絶てば、美しいメロドラマで終わっただろう。ほぼ白黒の画面なのでまるで昔の映画を見ているような錯覚に陥るし、美男美女の2人はとても絵になる。
けれど話をわざわざややこしくしたアンナは最後一気に存在感を増していき、伯母や母親といった金持ちで美しく強い個性の持ち主を身内に持つアドリアンはハンサムだけど素直な坊ちゃんというだけに成り下がっていく。
一体アンナが何処へ向かっているのか分からないが、マネの絵の前で、とてもドキドキする終わり方だ。
2018年9月10日に日本でレビュー済み
第一次大戦後、勝者と敗者のどちらの心にも残った深い傷跡と疲弊感。
その時代に生きた若者たちは当然のように戦場に送り出された。
いちばんの犠牲者は彼らだった。
命を失った者、生き残っても体や心に傷を残した者。
そして彼らを戦場に送り出し故郷に残った者たちの心も傷つく。
派手な描写は無くとも当時の時代感やドイツとフランスの関係がよく描かれていた。
現代フランス&ドイツ合作の素晴らしい文芸作品だった。
残された女の心という点では少しだけ名作「ひまわり」も思い出した。
ピエール・ニネは本当に印象に残る役者だ。
彼を「海へのオデッセイ、ジャック・クストー物語」で知ってから本作にたどり着いた。
その時代に生きた若者たちは当然のように戦場に送り出された。
いちばんの犠牲者は彼らだった。
命を失った者、生き残っても体や心に傷を残した者。
そして彼らを戦場に送り出し故郷に残った者たちの心も傷つく。
派手な描写は無くとも当時の時代感やドイツとフランスの関係がよく描かれていた。
現代フランス&ドイツ合作の素晴らしい文芸作品だった。
残された女の心という点では少しだけ名作「ひまわり」も思い出した。
ピエール・ニネは本当に印象に残る役者だ。
彼を「海へのオデッセイ、ジャック・クストー物語」で知ってから本作にたどり着いた。